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2012.03.14

自転車でひき逃げ 全治1ヶ月

昨日、仕事をしていた私のところに病院から電話が入り、「奥様が事故でけがをしており、詳しい説明をしたいので、あと30分後に来て欲しい」との連絡。30分で移動することなど明らかに不可能に近い状況だが、とりあえず、仕事の関係者に挨拶をして病院へ直行。今朝は何もごともなく家を出て行ったのに、どうしたというのだ。

医師との面談では、「大腿部頸部骨折で、手術をしなければ寝たきりになってしまう。すぐに手術の段取りをしたいが良いか」とのこと。何もわからず、そういうものかと、妻の大手術に同意。聞けば手術のあとにリハビリも加えて、全治1ヶ月以上だという。

いったい何があったのか。

とある団体でパート労働者として働いている妻は、経理関係の仕事をしている都合上ほぼ毎日のように近くの銀行などへ出かけている。
この日も、いつものように銀行での業務を終えて事務所に帰る途中だった。

妻の話によれば、「交差点の横断歩道を渡りきったところで、後方から何かに押されるような強い衝撃があり、そのまま倒れ込んでしまい、気づくと、自転車に乗ったj人物が、慌てて逃げて行くのが見えた」という。

起き上がろうとすると足の付け根に激しい痛み。近くでその様子を見ていた人が、すぐ警察に通報。やがて、警察官が現れ、起き上がれない様子を見て救急車を要請。そのまま救急指定病院へ運ばれた。

通報してくれた人の話では、歩いている妻の真うしろから自転車が追突、倒れた妻を介抱することもなく、そのまま逃げていったというのだ。

病室で妻の様子を見ていると、警察官が二人やってきた。所属を聞いて「え、交通課? 何で刑事課じゃないの?」ふと疑問に感じる。どうやら警察では、この一件を交通事故ととらえているらしい。全治1ヶ月以上だというのに、「これは、あきらかな傷害事件だろう。何ですぐに犯人捜しをしないの」そう思った。

そんなことは、さておき、これから一日も早い回復のために、夫としての非日常的な暮らしが始まりそうだ。

2011.06.14

暗闇と蛍

先日のことだが、数十年ぶりで蛍の光を見た。

もちろん、今時、ありふれた場所で蛍をみつけることなどできるはずもない。

それは、横浜本牧の三渓園が行っている「蛍の夕べ」というイベントでのことだ。

三渓園といえば、大きな池を備えた庭園や京都・鎌倉などの歴史的建造物が保存されていることで有名だが、その園内の一部を流れる小川を中心に蛍を鑑賞するのがこのイベント。

元々ここに蛍が生息していたのか、あるいはどこからかその幼虫でも移植してきたのか、そのあたりの事情については知るよしもないが、ともかくも、まったくの暗闇に数え切れないほどの人がいて、雑木に囲まれた小川にあのもの悲しげな光が浮遊したり、木の葉にとりついて小さな光を点滅させる蛍の光を見つけることができた。

その光を眺めているうちに、幼い頃、家の庭で捕らえた蛍を蚊帳の中に放し、闇夜に浮かぶ光をじっと見つめながら眠りについたことを不意に思い出した。暑い夏の晩だった。

立ち止まって暫く眺め、もう少しよく見えるポジションはないものかと移動したが、あまりにも大勢の観客に行く手を遮られ諦めて会場を出た。

わずか10分程度の蛍観賞だったが、暗闇の中にいたことで、妙に気持ちが落ち着いたように思えた。

そういえば、長野の善光寺にはお戒壇巡りといって『瑠璃壇床下の真っ暗な回廊を巡り、中程に懸かる「極楽の錠前」に触れることで、錠前の真上におられる秘仏の御本尊様と結縁を果たし、往生の際にお迎えに来ていただけるという約束をいただく・・(善光寺サイトより)』という道場があるという。

同じように、ほかの宗教でも暗闇を体験することで悟りに近づく的な苦行もあるらしい。

また、最近では、癒しを目的にした暗闇セラピーなるものもあるという。

暗闇が、明るいところではわからない何かを与えてくれるのかも知れない。

暗闇でもう一つ。つい先日のことだが、東日本大震災から1ヶ月目の被災地を取材するために東北に出かけていったときのことだ。

ある日、深夜に大きな余震が発生し、東北地方が一斉に停電、この停電は数日続いたのだが、この時、まさに夜は完璧な闇夜となった。

ふだんから、寝るときは明かりをすべて消すが、それでも遮光カーテンの隙間から外の光が入り込んできて、真っ暗闇ということはあまりない。

この停電の時は、宿泊していた旅館の構造的な問題や、外の月明かりなどの自然条件もあるかも知れないが、それでもカーテンを開けておいても、室内はまさに真っ暗闇。

だが、この暗闇の中で就寝すると、なぜか深い眠りにつくことができ、翌朝の目覚めがとても良かったことを思い出した。

暗闇とは、何かいいようのない恐れのようなものを感じさせる一方で、人の本来持っている能力や感性を刺激する何かがあるのかも知れない、あるいは癒しに結びつく何かがあるのかも知れない。

それにしても、なぜ、あの蛍の光は人の心を虜にするのだろう。

2011.04.04

ネット見つけたなるほど

(その1)

計画停電になったら… アメリカ人:損害補償のため弁護士をよぶ。フランス人:バカンスへ直行。イタリア人:シエスタに割りあてる。ドイツ人:停電のなか仕事続行。ロシア人:ウォッカ飲みまくり。中国人:計画的であることにパニック。 日本人:計画通りに停電しないことに怒る。

(その2)

駅前に大勢の大学生が大声で募金募ってたんだけど、アイツラ全員で日雇いバイトして寄付すればよくね?

2011.03.29

大声の街頭募金やめて!!

大人になろうニッポン!! その1

大声の募金活動やめてくれといいたい。

ここのところ街頭で募金活動をするグループを見かける。とても立派な活動だと思う。

だが、勘弁してもらいたいのが、ヒステリックにも思えるあの募金を呼びかける大きな声だ。

小中学生たちが、赤い羽根の募金をするなら元気があってよいと大きな声も許せる。

ところが、大学生や一般の社会人の大声、特に男性の大声はとても不快だ。

あれじゃあ気の弱い女性なら、募金をしたいと思っていても引いてしまうだろう。

大声で呼びかけなくても、大勢で募金箱を抱えていれば何をしているかぐらい誰だってわかる。

静かに立って、募金をしてくれた人に感謝の気持ちを丁寧に伝えればよいのではないか。それを小学生のように元気よくやる必要はどこにもないと思う。

募金というのは、個人が自分の気持ちをささやかなお金に換えて示すもので、大声で脅されてやるものではない。

それと付け加えておきたいのが、大勢が揃って街頭に立つこと、あれ、どんな意味があるの?
大勢いるなら、一カ所に固まっていないで周囲に分散したら、威圧感もなくなるし、募金をしてもらえる機会もさらに高まるのではないか。あまり好きではないが、某宗教団体の人たちが街頭に立つときは、こうした戦術をきちんと心得ている。参考にするのも悪くないだろう。

街頭募金を集めるふりをして後で懐に入れてしまうという、驚きの詐欺行為も起きているという。街頭募金必要かな?

ニッポン、もっと大人になろう!!

2011.03.26

農作業の延期を呼びかける馬鹿行政担当者へ

福島第一原子力発電所の事故を受けて、福島県は3月25日に県内の全農家に対し、田植えや種まきなどの農作業を当面延期するよう要請したという。

放射性物質の影響があるから農作物は作らない方がよいだろうということらしいが、もう少し頭を使った判断はできないものだろうか。

たとえば、いま流行の『バイオ燃料』の原料を一斉に栽培するといったことは思いもつかないものか。

作物は、たとえば雑草に強い遺伝子組み換え大豆やトウモロコシなどがよいかも知れない。米も作れない、野菜もだめなら次の手を考えるのが政治や行政のやることではないだろうか。ただやめましょう。補助金下さいといった無能な考えはやめるべきだ。

バイオ燃料の材料なら人間が口にするわけでもないし、ガソリンに混ぜてしまえばよいわけで、人に対する害も少ない。それに、これからどうなるかわからないエネルギー問題を国民に考えさせる絶好の機会にもなるはずだ。しかも、これまで代々農家の人々の手で耕されてきた広大な農地を耕作放棄地にすることもない。

政治家や行政担当者の機転の利いた判断を期待したい。

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