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2004.05.17

鯨と日本の食文化

5月14日の金曜日、東京新橋のヤクルトホールで「鯨と食文化を語る市民の夕べ」という催しがあった。タレントの永六輔氏の講演のほかに、同氏と水産庁の小松正之氏、タレントの神津カンナ氏、食文化に詳しい東京農業大学の小泉氏らのシンポジュウムがあった。

この催しのねらいは、商業捕鯨の再開に向けて日本国内から世論を巻き起こそう、そこでその手始めとして「鯨と食文化」を切り口にシンポジュウムを開き、如何に古くから日本人が鯨を食してきたか、また暮らしの中に鯨に関わるものがどれだけ多くあったかなどを語り合い、日本人と鯨の関係を大勢の人たちにアピールして行こうというような催しであった。ともあれ鯨についてあれこれ面白い話を聞くことができ、有意義な時間を過ごすことができた。

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たとえば商業捕鯨の再開について、鯨といえば何かと目くじらを立てるグリーンピースや商業捕鯨に反対するいくつかの国の政府関係者は、古くから形づくられてきた日本人と鯨の関係などまるで知らずに、せいぜい「日本は戦後の食糧難を乗り切るために商業捕鯨をしていた」程度のいい加減な知識だけで「再開の必要はない」と根拠のない議論をするのだという。

近くに海も山もある日本では、古くから多様な食文化が形成されていた。既に縄文時代から鯨の仲間のイルカを食べていたらしく、あの三内丸山遺跡からも鯨の骨が出土しているらしい。また、江戸時代には現在の30倍近い量の鯨を食べていたという計算結果もあるらしい。

さらに、日本では鯨を骨まで利用しているというのに、かつて海外で行われていた油だけをとる捕鯨では油分の多い表皮だけをとり残りの肉や骨は捨てていたのだという。つまり、日本では昔から鯨は食料であったのだが、欧米では元々鯨は食べるものとして捉えられていないのだ。それが理解されなければ議論がかみ合うこともなさそうだ。

このほかにも文化というところから、「食べるものをうやまいながら、有り難くいただくという伝統的な(宗教的な)日本人の食文化」があるという話もなるほどと思った。おそらく西洋の彼らに、この日本人の精神世界は理解できないかも知れない。

さらに日本人の食文化に関して「たしかに、外国の人から見ればゴボウは食品ではなくただの木の根であるかも知れない。」という話もそのとおりだと思った。しかし、ゴボウは間違いなく根っ子でも日本人が昔から美味しく食べてきた食品なのだ。同じように鯨だって、日本人の食べ物だったのだ。

また、「ごはんなどいらない、パンがあればいいじゃないかといわれても、やはりごはんは捨てられない。」という話もわかる。ごはんは日本人の文化だ。BSE入りの牛肉より、鯨の竜田揚げだ。食に対する多様性があるのも日本食の優れた点であり、牛の脳みそをスプーンですくって食べる西洋の食文化と何もかもが同じである必要はないとも思う。

このシンポジュウムで一番なるほどと思ったコメントに「鯨の保護を訴える人は、誰でもいい人になれる」というものがあった。かわいそうだとか、可愛いからなどと訴えれば、それを声に出した人はたしかに善人に思われるし、正しい人になれる。訴える本人も気持ちがいいはずだ。だが、その善人も、鯨が増え続けて人間が捕獲する数の何倍もの魚を食べて水産資源を枯渇させる危機に陥っていることなど知らないらしい。

また、生殖活動の優れた種類の鯨だけが増えることで、食物連鎖のバランスが崩れ、それ以外の種類の鯨がいつになっても増えないといった科学的な根拠も、かわいいや、可愛そうといってる人たちの耳には入らないらしい。

これからも、暫く鯨についてはあれこれ調べてみようと思う。ちなみにこの催しでは、いくつかの鯨料理が振る舞われたが、どれも最高に美味しかった。ごちそうさま。水産庁頑張れ!!

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