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2005年6月

2005.06.28

箱根駅伝を歩く 第6回 1区六郷~鶴見

六郷神社を出るとすぐに六郷橋が見えてきた。少し急な登り坂は、確かにここまで走ってきた選手にはどう見てもきつそうだ。それが、自然条件によるものなら仕方がないだろうが、これはあくまでも人工的に造られたものだ。

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さて、この坂道を体験しようとしたが、またしても歩道がない。あくまでも車優先の設計思想が、このようなおかしなものを作るのだろう。

これだけ立派な橋なのだから、歩道がないなどということはあり得ない。そう信じて脇道を前進。やがて遠くに歩道に行くための階段が見えてきた。この100メートルか200メートルの距離に、歩道を取り付けないことによって、どれだけ工費を安く押さえることができたのだろうか。そして、その金額はこの橋を建設するのに必要だった総工費のどれくらいの割合になるのだろうか。どうせわずかばかりの経費を浮かせたに違いない。そのために、歩く人や自転車に乗る人が、どれだけの不便を被っているのか、その精神的苦痛を金額にしたらいくらになるのか・・・・そのあたりをもっと真剣に考えてもらいたいものだ。

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階段を登って六郷橋の上に行ってみた。海に近づいている多摩川は、かなり川幅が広い。実際に水が流れているのはわずか数十メートルだが、河川敷はその数倍はあるだろう。橋の下にはテニスコートが見え、さらにその向こうには野球場がずっと下流まで何面もつながっていた。

橋の途中で、先ほどから一緒に歩いていたご夫婦に再び追い抜かれた。こちらが六郷神社で油を売っている間、どこかこのあたりで休憩でもしていたのだろうか。

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途中で東京都から神奈川県に入る。歩道は川幅と同じところまでしかなく、その先はまた階段を使って下りるようになっていた。

府中街道の交差点。左前方には川崎競馬場が見える。フリーマーケット開催中と旗が出ているから、今日はレースがないのだろう。とても長い時間、信号待ちをして前進。

立体交差の車道は、このあたりで下り坂になる。六郷橋を出ると1区の残り3㎞になる。道路の左右には、高層マンションが並び始める。やがて右手に大きな神社が見え、左手に郵便局が見えてくる。その郵便局の交差点を少し過ぎたあたりが19㎞地点のようだ。

やや無機的で面白みのない町を歩く。有り難いのは歩道の脇にオフィスビルやマンションがあるため、日差しをカットしてくれることだ。そんな町の風景を眺めつつ歩いているときである。後方からスタスタと走る足音が近づいてきた。

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帽子をかぶった青年は、ジョギングよりは少し遅い走り方で追い越していった。肩には手拭いをたたんで作ったような襷のようなものを背負っているではないか。もっとも、こちらがそのつもりで歩いているので襷に見えるのかも知れないが、幻のランナーのように青年はどこまでも走り続けていった。

南町交番前の交差点で19.5㎞。ここにきて、道路も歩道もさらに広くなったような気がする。

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しばらく左右にいくつものマンションを見ながら前進、車関係の店舗が目立つ。少し遠くに電車が走るガードが見えてきた。あれが「南部線のガード」というやつか。はて、南部線?
南部線というのは立川~川崎間を走る電車だが、こちらの方まで来てはいないような気もするが・・・・。あとで調べてわかったことだが、確かに浜川崎までは南武線なのだそうだ。ただし、尻手から浜川崎までは支線であり、通称は南武支線もしくは浜川崎線が一般的なのだそうだ。だとすれば、下らないことだが、ここは「南武線のガード」というよりは「南部支線のガード」にした方が実態に即しているような気もするのだがどうだろう。

このガードの先で、道は大きく左に曲がる。残り1キロを過ぎて、選手たちはラストスパートをするあたりだが、その左カーブのおかげでゴールが見えない。ゴールが見えるのは、ゴム通り入り口の交差点に入るあたりだろう。

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ほどなくして鶴見中継所、武井産婦人科前へ到着。「明日へ走る」の像が迎えてくれた。大手町からここまでの道のりを思って、ちょっとだけ感動した。きょうは、ここまでおよそ2時間。大手町から通算で6時間30分だ。

次回は、いよいよ花の2区が待っている。

2005.06.27

箱根駅伝を歩く 第5回 1区蒲田~六郷

梅雨時だというのに、どういうわけかこの数週間は週末に晴れになるというサイクルを辿っているようだ。
京浜急行の蒲田駅を降り、国道15号線を先週の終着点まで歩きはじめた。真夏のような日差しが降り注いでいる。このようすでは暑くなりそうだ。

駅から数分で本日のスタート地点である多摩堤通りの交差点に戻ってきた。ちょうどその角にコンビニがあり、水分補給用のペットボトルを買い、店内のエアコンでちょっとだけ涼んで、さっそく再スタート。時刻は午前9時30分。

歩きはじめてすぐに京浜急行の踏切が見えてきた。羽田空港方面に向かう線路なのだが、まだ立体交差の工事が完成していないため、時折、国道15号線の交通を止めて電車を走らせている。

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ある箱根駅伝関連のサイトの情報によれば、駅伝の時には、往路では選手同士の間隔がそれほど大きくないので大幅にダイヤを変えるようなことはしないのだが、復路ではばらばらにやってくる選手が通過するたびに、ダイヤ調整をして、この踏切が降りないように工夫しているのだそうだ。あの大イベントを成功させるために、大勢の人たちが見えないところで地味な活動をしている。

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環状八号線の交差点が近づくにつれて、道路工事が行われており道もあちこちくねっている。近くにあった看板を見て納得した。国道15号線蒲田立体交差事業と銘打ったその看板には、京浜急行と国道15号、さらに環状八号線などが立体交差になり、人や車の流れがスムーズになり、近隣の環境がとても良くなったような絵が描いてある。それにしても、こうなるのかと思えば道路工事に関わる多少の迷惑も我慢できそうな気がするから不思議だ。看板や広報物に絵があることで分かりやすさや説得力が増すということをあらためて認識した。

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環状八号線の交差点を過ぎると、片側2車線、上下4車線の道路がほぼ直線で伸びている。道路の左右の歩道もかなり広く広々とした感じを与える。なぜ、これほど広々しているのかとあらためて眺めてみる。そうか、この道路には電信柱というものがない。電信柱と電線が道路の左右にあるかないかで見た目の圧迫感はまるで違う。

雑色駅近くのお弁当屋が見えてきた。チェックポイントによれば、ここで1区の残りあと5キロメートルだ。

先ほどから、ご年輩の夫婦が前を歩いている。3週間前からこのルートを歩いていて気づいたことだが、この道をウォーキングしている人が思いのほか多い。時には、この同じルートを同じような方法で歩いているのではないかと思うような人もいる。東海道は人気のスポットなのかも知れない。

道路の前方に登り坂が見えてきた。どうやら六郷橋が近づいているようだ。

この近くで、参道がずっと奥まで続いている神社を発見した。

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六郷神社は、落ち着いたたたずまいの境内が広がっていた。社殿に向かいお参り。近くにあったこのあたりでは最も古いという狛犬を見てしばし休憩。さわやかな風が流れてきた。


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2005.06.21

箱根駅伝を歩く 第4回 1区立会川~蒲田

1区のほぼ中間地点(東日本銀行前)のすぐ近くで、ほんの少し休憩をして立会川を出発。道路のまわりには町工場やマンションが目立つようになってきた。ちなみにこのあたりの町工場の中には、自動車レースのF1の部品を作っているすごい会社もある。

小さな特定郵便局も見かけるようになってきた。そういえば誰のことだったか忘れたが、いつも郵便局の貯金通帳を持ち歩いていて、仕事で地方に出かけたときに、その土地でみつけた特定郵便局で貯金をするという話しを聞いたことがある。DSC00043043
たいそうな金額の貯金ではないが、通帳に御当地のスタンプが押され、それをコレクションする楽しみと、お金が貯まるという二つの楽しみごとが味わえるとかで、なるほどと思いながらその話を聞いたおぼえがある。この徒歩の旅の記念にそれをまねてもよさそうだと思ったが、あいにく土曜や日曜を利用しての旅なので、郵便局は休みだと気づいてやめることにした。

南大井の鈴ヶ森のガードに近づいてきた。ここは1区の残り10㎞地点だ。トータルで21.4㎞だから、大手町から11.4㎞歩いてきたことになる。この南大井の歩道橋のところでも道路と歩道が分かれていた。

歩道を進み国道から少し離れた道を歩いていくうちに、緑がこんもりと盛り上がっているところがあった。隣には近代的なデザインのお寺があり(とてもお寺には見えない建物だが)その脇に、記念碑のようなものがいくつも並んでいた。その中のひとつの立て看板を見て、ここが鈴ヶ森の刑場跡であることがわかった。有名な江戸時代の処刑場のひとつである。色々な記念碑が並んでいるので歴史に興味のある人なら面白いところかも知れないが、どうも居心地がよくない。
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鈴ヶ森のガードを過ぎると、道路は一気に広くなる。左手に品川水族館の入り口があり、そこからブルーのボンネットバスが出てきた。近くの駅から客を運ぶための送迎バスのようだ。レトロなバスの雰囲気を出したいのなら、この派手目の色づかいはかえって逆効果な気もする。なぜ、ボンネットバスなのか。それをもっと深く考えたデザインが必要だと思う。

大森海岸の駅を過ぎ、平和島口の交差点が近づいてきたところで、突然轟音が聞こえてきた。平和島競艇のボートの音だ。そういえば、以前大田区で暮らしていた頃は、この競艇場の脇にあるレジャー施設の映画館をホームグラウンドのように利用していたものだ。いつ行っても、複数の映画の中から、みたいものがすぐにみられるというのがよかったが、まだつぶれずに営業しているだろうか。

平和島の交差点を通過。このあたりは、マラソンの折り返し地点としても知られている。代々木の国立競技場からやってきて、ここで折り返して42.195㎞というわけだが、箱根駅伝のデータによれば、大手町からここまでで12.5㎞というのはやけに短く感じる。単純に往復しても25㎞にしかならない。その分、マラソンは都内をぐるぐると回り道しているのだろうか。

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この平和島の交差点の先に環状七号線を渡る立体交差が見えてきた。はて、駅伝はこの立体交差を渡るのだろうか。それとも下を走っていくのだろうか。疑問だ。

このblogを書くために、間違いがあってはいけないと箱根駅伝に関するホームページをいくつか見てみたが、そのことに関して答えを出してくれるページはどこにもなかった。いずれも「コース案内」などの項目があるが、どれを見ても日本テレビの箱根駅伝のホームページからのパクリばかりで、駅伝好きもいいがオリジナリティのない情報発信ならやめた方がいいと思う。

ちなみに、この駅伝のコースを自転車で移動した人のホームページがあったがそれなりに興味深いものがあった。実際にこの道を歩いた人がいるのだろうが、それをインターネットを通じてリポートした人はいないようだ。どうでもいいことかも知れないが、身をもって体験してこそ、見えることやわかることもあると思う。もちろん、このコースを走る選手なら、何度か下見をするのだろうと思うが、歩いてみてわかることや気づくことはおそろしく多い。そのわかったことや気づいたことをリポートすることで、見知らぬ誰かに、このワクワクするような想いが伝わればなお面白いだろうと思う。

環状七号線の立体交差を歩くわけにも行かず、下の歩道を歩いて産業道路の三叉路のポイントに向かうことにした。おそらく、八ツ山橋と六郷橋の坂道がポイントになるとあるから、ここは立体交差を渡らずに下を行くのだろうと思う。(もし、読者の中に詳しい人がおられたら、コメントをお願いします。)

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ちなみに、これまで何度も転居経験があるが、20年ほど前にこの三叉路のところにある茶色のマンションに2年ほど暮らしていたことがあり、懐かしくてほんの少し裏通りへ入ってみた。ここにある美原通りも旧東海道の一部で、この通りにある和菓子屋さんが、お気に入りのスポットのひとつなのだ。餅甚という名の和菓子屋さんだが、毎年、ゴールデンウィークの頃には必ず柏餅を買いにやってくる。土産の和菓子を買い込んでコースに戻った。

産業道路と第一京浜が分かれる三叉路を右に向かい、蒲田方面に向かった。道路の両サイドに街路樹があるが、おそらく駅伝の頃には葉は落ちていることだろう。

左手にチェックポイントの高津電動精機という会社の看板を見つけた。ここでスタートから14.6㎞になる。その先に、築何年になるのか知らないがボロボロの大田区の体育館を過ぎ、今日の目的地である京浜蒲田の駅に近い交差点が見えてきた。足も痛い。

第一京浜と多摩堤通りが交差しているところで、この日は終了。時刻は間もなく13時になろうとしている。ここまで大手町から徒歩で4時間30分(通算)だ。

2005.06.20

箱根駅伝を歩く 第3回 1区 品川~立会川

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大手町から品川まで歩いてちょうど1週間が経過した。先週の終点である品川駅西口の交番前に戻り、あらためて箱根に向けて歩きはじめた。時刻は6月18日土曜日の午前10時30分。今回は1区の3分の2くらいに位置する蒲田あたりまで歩こうと思っている。

品川駅周辺は東口が再開発され風景が一変してしまったが、この西口は20年くらい前と比べてもあまり変化してはいないように見える。だが、駅から飛び出していく人の数はおそろしく増えている。表面はこれといって目立つようなところはないものの、こちら側にもかなりの開発の波が押し寄せているのだろうか。信号待ちの人だかりの前を足早に通り抜け八ツ山橋方向に向かった。

すぐにゆるい坂になり道路はここで川崎横浜方面と五反田方面に分れる。車でよく通るところなので、この立体交差の大まかな形はわかっている。だがあらためてよく見てみると川崎横浜方面に向かう歩道がない。歩いて渡るにはどうするのだろう。

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一瞬疑問が生じたが、少し歩いて正解が見えた。左手に橋が架けられており、その橋を渡ってすぐに右手に行けば再び国道15号線(第一京浜)の方へ戻ることができるようだ。

橋のたもとに「屋つやまはし」の文字を見つけた。ここを右に曲がらずまっすぐ行けば、旧東海道品川宿の通りに出る。今でも、東海道の面影を残すお寺や神社がいくつもありそれなりに風情のある道なのだが、今回はあくまでも駅伝のコースにこだわることにしている。

国道に戻り今度はゆったりとした坂道を下っていく。その坂が終わるあたりで右手に小さな緑の森が見えてくる。品川神社の鎮守の森だ。道路に面して急な石段があり、その上に神社がある。ここの例大祭の御輿も凄いが、それ以上に面白いものがこの神社にはある。ここでは古くから伝わる「太太神楽」というお神楽だ。太鼓や笛はあるが、このお神楽は台詞がない。観客に背を向けて、あくまでも神様に奉納する舞を舞う。少し地味だが味がある。これを記録したドキュメンタリーがまた素晴らしい。ちなみにその作品の演出はこの私ではあるが・・・。

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品川神社で思い出したことがさらにもう一つあった。参道の脇にあるミニ富士山だ。一合目から二合目、三合目とところどころに小さなしるしがあり、それに沿っていくとやがて山頂に。わずか数分で終わってしまう富士登山だが、山頂からの景色は思いのほか良い。

品川神社の前を通り過ぎてしばらく行くと、山手通の交差点に出る。北品川2丁目の交差点だ。左は天王洲のビル街、右に行けば五反田を経由して渋谷方面に行くことができる。
道はこの先ですぐに2車線になる。

道路が狭くなって歩道も狭まってしまった。時折通過する自転車が危なく近づいてくる。車が走る道路は整備され走りやすくできているが、歩道は狭く凸凹している。徒歩で箱根まで行こうという人間にはまだ耐えられることでも、もし仮にこれが車いすの旅なら、この段差や凸凹はかなり厳しいかも知れない。

青物横丁の交差点が近づいてきた。この右手の大きなマンションのうしろに、江戸切り子の職人さんが住んでいて、その職場におじゃましたことがあった。クリスタルグラスを回転する刃物に押しつけ模様をつけていくという伝統の技だ。そういえば、その折りにお土産にとロックグラスをひとついただいて帰ったが、そのグラスに丸い大きな氷を入れ、最高級のスコッチを流し込んでみたが、これが素晴らしい味わいであったことを今も覚えている。あの切り子のグラスはその後、わが家の家宝のひとつになった。残念ながらその江戸切り子のお宅はどこかに移転したようだ。そのお宅があったあたりでマンションの建設工事が行われていた。

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京浜急行沿いに歩いていくと、道路は大きく右にカーブする。ここまで来たところで、ファミレスやハンバーガーショップのドライブスルーがはじめて登場した。都心部から郊外にむかっている明らかな証拠だろうか。そういえば、あのドライブスルーは自転車で入っていってもちゃんと対応してくれるのだろうか、などとつまらないことを想像していた。

このすかいらーくのところにある東大井の歩道橋が、スタートからちょうど10㎞の地点にあたるらしい。これを過ぎると1区の中間点にさしかかる。

立会川まで歩く。小さな路地の左右に商店が並び、ちょっとした下町の風情を感じることができるのがこの町の良いところだ。その商店街のすぐ脇に小さな川が流れている。数年間にボラが大量発生したことがあり、その時たまたま通りかかったのだが、川が真っ黒になるほどのボラがいたのを思い出した。あのボラたちはどこへ行ってしまったのだろうか。川を眺めながらしばし吸水。気温が上がってきた。

2005.06.15

箱根駅伝を歩く 第2回 1区 芝園橋~品川駅前

芝園橋を抜けて少し歩くと、右手にロケットのような形をした巨大なビルが見えてくる。某コンピュータ関連メーカーの本社だ。仕事の関係で何度かこの中に入ったことがあるが、とにかく中の吹き抜けが凄かったことだけは記憶している。ところでどうでもいいことだが、PC8001の時代からWindows95の時代の98まで、かなり高価だったデスクトップやノートなど5~6台のパソコンを利用してきた者としては、このビルの窓ガラスの1枚くらいはオレの財布から出ているんだぞという思いもある。もっとも、その後はこの会社のパソコンの世話にはなっていないので、あまり偉そうなことはいえないが。

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芝5丁目の交差点で日比谷通りから第一京浜に入る。かつての三菱自動車の本社だったビルの角に「江戸開城、西郷南洲、勝海舟、会見之地」という石碑に出くわした。江戸城無血開城の有名な会見だが、このあたりに薩摩藩邸があったというのも興味深い。


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話は違うが東京近郊の孟宗竹のルーツは江戸時代に中国から輸入された種竹を薩摩藩が江戸に持ち込み、そこから広がったものだといわれている。品川の小山あたりでは、その孟宗竹を広め、江戸に筍を供給したという話が伝えれられていて、そのおおもとが薩摩屋敷にあった孟宗竹であったという。大きなビルに囲まれたこのあたりにかつて竹林があったかと思うと不思議な感じもする。ちなみに、サツマイモも薩摩藩が江戸に持ち込み広めたという歴史もあるようだ。


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田町の駅前を通過して札の辻の交差点へ向かう。第一京浜に入って片側2車線から3車線になり、道路もひらけて遠くまで見渡せるようになった感じがする。札の辻の歩道橋の上から東京タワーが見えた。ビルとビルの合間に囲まれた東京タワーだ。

ところで、こうして歩いていると道々にいくつもの神社仏閣があることに気づく。そうした中でこれほど凄い自己主張はないだろうと思えるような巨大な文字がコースの右手に見えてきた。「御田八幡神社」というもの。12階建てくらいのビル壁に窓枠より大きな文字で書いてあるところが凄い。ここまでやるとちとやりすぎという感もあるが、とても目立つ。

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その御田八幡神社のほぼ向かいにあるビルの前には目立ちはしないが有名な銅像がある。もう他界されしまった人だが、あのかつての競艇界のドンが老いた母を背負って金比羅参りをしているというあの銅像だ。それにしてもあの競艇会のドンの顔が、今でも「戸締まり用心、火の用心」のメロディとともにスッと思い出せるのだからテレビCMの力は絶大だ。

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この銅像のあるところからほどなく歩いたところに、いつの間にか片側4車線になっていた道路が、そこだけ3車線になっている不思議な場所が見えてくる。石垣とその上の大木が何らかの歴史を背負っているようだ。
近くにあった「史跡 高輪大木戸跡」の解説を読むと、江戸の治安維持と交通規制を行う木戸がここにあり、ここまでが江戸市中でここからは江戸の外になるということらしい。旅人の送迎もここで行われていたらしいが、江戸時代の後期には廃止されたようだ。

地下鉄都営浅草線の泉岳寺の駅前を通り抜ける。右手に坂を上る道があり、その坂の先にあの泉岳寺がある。どうやら先ほどの「浅野匠の守終焉地」もそうだが、このルートは赤穂浪士の物語に縁があるようだ。それにしても吉良邸は、たしか両国のあたりだからかなりの距離を歩いてここまでやって来たのだろう。江戸時代の人はみな足が強かったようだ。

高輪の町を歩いていて気づいたことがある。舗道の脇に自動販売機が目立ってきたことだ。少なくとも、大手町や日比谷界隈の舗道の脇には自動販売機はなかった。少しずつ庶民的な町に入ってきたといえば、そういえなくもないが、見方を変えれば雑多で無秩序な町に入ってきたともいえるだろう。


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高輪神社のあたりで左側のビル群が途切れ、JRの線路の向こうに品川再開発地区のビル群が見えてきた。

品川のホテル街を左に見ながら品川駅前まで歩き、そこでこの日の工程を終えた。大手町のスタート地点から7.1キロメートル。所要時間はおよそ2時間だった。次回は、品川駅西口の交番前からスタートになる。

2005.06.14

箱根駅伝を歩く 第1回 1区 大手町~芝園橋

人気もまばらな休日の東京大手町。逓信総合博物館の前の道を皇居方面に少し行ったところに読売新聞の本社があり、その足元のビルとビルに挟まれた通りに箱根駅伝のスタート地点がある。

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2005年6月11日土曜日、午前11時15分。いよいよ箱根芦ノ湖に向けて出発である。といっても、あの若者たちのように走って芦ノ湖をめざすわけではない。週末の休みを利用して、少し歩いてはやめ、次回そのやめたところに戻って続きを歩くというやり方で目的地をめざす旅だ。

こんなやり方で東海道五十三次を歩いた人がいたが、その方法をそのまま頂くことにした。わずかな電車賃で、徒歩の旅を楽しむというのがひとつの目的だが、それだけでない。テレビで見る駅伝コースを実際に歩くことで、テレビを見る楽しさも倍増すること間違いなしだ。それに、歩くのは何といっても健康によい。

さて、歩き始めてすぐに最初のチェックポイント『和田倉門』を通過。ちなみにこのチェックポイントは、日本テレビの箱根駅伝のホームページにあるコース案内を勝手に利用させてもらうことにした。このコース案内のよいところは、通過地点やスタートからの距離、通過予定時刻などのデータが細かく記載されていることで、たとえばこの和田倉門なら、スタート地点から0.6㎞左手に東京駅とある。

そんなわけで左手に東京駅を見ながら前進。右手には皇居のお堀が続いている。このあたりには歴史的に価値のある建造物がいくつか並んでいる。明治生命ビルやGHQが入っていた第一生命ビルなどだ。建築にあまり興味のない人にも、この重厚なデザインは凄そうに見えることだろう。

帝国劇場の左脇の路地を見ると有楽町駅のあたりがちらりと見える。前方には、日比谷の交差点が近づいている。

帝国ホテルに近づくあたりで、かなりの大音量のロックミュージックが聞こえてきた。道路の向こうの日比谷公園からだろう。そういえば東京とその近郊で、もう30年近く暮らしているが、日比谷公園に一度も足を入れたことがない。おそらく、それが野外音楽堂と呼ばれるところから聞こえてくるものだと想像はできるが、確実にそうだとはいいきれない。それにしてもあの音のつまづきは、どうもプロのバンドとは思えない。そんなことよりも、帝国ホテルの舗道に面した花壇の美しいこと。季節の花々に目を奪われてしまった。

内幸町の交差点。この横断歩道を渡りながら右手を見ると、国会議事堂がよく見える。これが、横断歩道の手前でも向こう側でもよくない。道中、カメラを持って撮影をしているのだが、わずかな隙間から被写体を拾うのは難しいものだ。

わずかな隙間といえば、汐留のビル群も西新橋の交差点のあたりからしか望むことができないだろう。そう思って歩いていたら、もうひとつ汐留がよく見える場所があった。マッカーサー道路の建設予定地だ。マッカーサー道路と聞いて何それ?という人も多いことだろう。港区赤坂1丁目のアメリカ大使館の前あたりから、愛宕、西新橋を抜けて汐留に向かう道路が戦後すぐに計画され、その沿線では3階建て以上の建築が規制されていたという。だが、それがもうすぐ着工するらしいという。西新橋のあたりで「開発事業用地」の立て看板のある空き地を見つけたら、それがマッカーサー道路だ。

その将来道路になるだろうというところの脇に石碑を見つけた。「浅野匠の守終焉の地」である。浅野匠の守といえば、いわずと知れた「赤穂浪士」の物語の冒頭の主役。殿中で吉良上野介に斬りつけて切腹した人。この仇討ちが赤穂浪士の物語だ。もしかしたらここは、歴史や時代劇の好きな人たちの隠れたメッカなのかも知れない。

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あれこれ道草をしながら前進。御成門の交差点まできて、右手に東京のシンボルが見えた。東京タワーだ。以前からこの交差点から見る東京タワーは悪くないと思っていたが、あらためてそう思う。だが、ペストタイムは陽が西に傾き、沈む太陽と東京タワーの両方が同時に見えるときだ。そういえば夜の東京タワーも悪くない。

御成門の交差点を過ぎたところで「日本近代初等教育発祥の地」なる石碑を発見。この地に日本初の小学校が置かれたと隣に解説文がある。何でも増上寺の子院を利用したとある。増上寺は徳川家にゆかりのお寺であり、このあたりは江戸時代の古地図を見ると大名屋敷が並んでいたところでもあり、明治政府がとりあえず学校第一号として目をつけたのがここなのだろうかと、あれこれ思いを馳せてしまったが詳しいいきさつは歴史書を開かなければわからない。それにしても、このあたりは江戸の昔からまさに日本の中心地であったのだろうと感じることができる。

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その増上寺の前を通過。遠くに田町のビルが見えてきた。舗道の左手に緑が広がる。芝公園だ。この公園を歩いていくとリスのオブジェに出会うことができる。一つひとつ色々な表情のリスが公園の緑の中にいる。このようなものも悪くはないが、できることなら本物のリスが木々の合間を移動するような公園にはならないものかと考えてしまうのは私だけだろうか。


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上に首都高速道路が走る芝園橋を通過。歩き始めておよそ1時間。ここまでの距離は4.1キロメートルだ。

2005.06.06

ウォーキングをしながら

ここしばらくの間、といってもまだ半年くらいのことだが“歩くこと”に興味を持っている。

数年前にたばこをやめてからというもの体重の増加に悩まされ、医師からは痛風を宣告され、続いて半年ほど前の健康診断ではとうとう糖尿病の結果が出た。もはや若い頃からの不摂生が一挙に噴出し、生活習慣病のオンパレード状態だ。

「太く短く」がコンセプトの人生ではあるが、肝機能障害や高コレステロールなど成人病のデパート状態にあることを知ると、ほんの少しジタバタしてみたくなる。そのジタバタが、ウォーキング熱になっているとはいえないが、遠からずというところだろうか。

歩く時はノンストップで1万歩以上。それを毎日続けて1週間で7万歩。これが目下の目標であり、これによってまずは内臓脂肪をそぎ落とす。これがファーストステップ。続くセカンドステップは云わずと知れた体脂肪の分解である。

ノンストップで1万歩といえば、およそ1時間半から2時間の距離になる。現在は多摩川大橋からガス橋をくぐり丸子橋まで行き、そこで折り返して再び多摩川大橋に至るというコースを利用している。

ただ歩くだけのことだが、常連になってくると色々なことが見えてきて楽しい。

毎日、同じ時間に出会う人。通勤に川沿いの道を利用している人。自転車の荷台に幼い子供を乗せて毎日サイクリングをしている黒人の親子。星一徹のように野球の鬼になって我が子を鍛える父。なぜそれほど野球にこだわるのだろう。日本人の野球はまさに武道に通ずるところがある。野球道だ。

この多摩川の河原にグランドを構えている某高校の野球部に至っては、数十年前からまったく変わらない貴重な風景が繰り広げられている。根性。汗。我慢。涙・・・。流行らないと思うのだが、これが野球道の神髄かも知れない。

そういえば、もう一つ流行らないやつがある。ゴルフ好きだ。この河原にもいくつもの練習場やショートコースがある。河川敷の空き地には、ゴルフクラブを持ったオヤジの姿をすぐに見つけることができる。野球道を卒業すると次はゴルフ道のようだ。ダサイ。

歩くといっても、ただ歩くだけではない。心拍数や早さも計算しながら歩く。このあたりは、以前スポーツジムに通っていた頃の経験が役に立つ。運動もある程度の理論に裏打ちされたものでなければ効果はない。

このウォーキングコースにはどうしようもないアホどもがいる。用もないのに首輪につけたロープを離して犬の散歩をする連中だ。飼い犬に自由を感じてもらいたいのかどうか知らないが、あれほどじゃまな奴はいない。だいたい犬という動物は飼い主に従うことを喜びとする動物であることを認識していないようだ。どうでもいいが、歩く先にアホな犬が近寄ってきたりすると思いっきり蹴飛ばしたい衝動に駆られるのは私だけ?。世の中、犬好きだけで構成されているのではないということを認識すべきだ。もっともそれがわからないからただのアホなのだが。

歩くスピードについて考えることもある。自転車やバイク、車、バス、電車、新幹線・・・・いろいろな乗り物があるが、それぞれに体感する速度感は違うし、目に飛び込んでくるものも違う。たとえば車やバイクの速度では、草花の種類を見分けることはできないが、歩く速度ならわかる。おそらくジョギングのように走っていたらまた違うものが目にはいるのだろうと思う。これもどうでもいいことだが、速度と人の認識の関係は研究に値するかも知れない。

先日何かの読み物で、歩くことがうつ病の改善にも役立つという趣旨の記事を読んだ。しかし、ひとりであれこれ下らないことを考えながらのウォーキングタイムが憂さ晴らしになるとはどうしても思えない。考えることよりも、見える風景や目に飛び込んでくるものが人間の脳に何らかの刺激を与えるのだろうか。学者の考えていることは我々凡人にはわからない。

さて、あれこれと思索を巡らしているうちに折り返し地点に到着。この調子でいけば、いくらでも下らない話題が飛び出してきそうなので、やめようと思う。ハア。

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