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2005年7月

2005.07.26

箱根駅伝を歩く 第12回 2区 不動坂~戸塚

小さな森のように見えたのはモチノキの大木で、かなりの樹齢のようだ。このモチノキのすぐ脇は五叉路の交差点になっていた。これが「不動坂交差点」で2区鶴見中継所から19.1キロメートルのチェックポイントになっている。

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地図を見ると、国道1号線はこの不動坂の交差点で戸塚駅を経由する旧東海道と、どうやらそのバイパスになる道に分かれているようで、箱根駅伝のコース表を見ると、このバイパスの道を利用しているようだ。

複雑な交差点を迂回するように横断歩道がもうけられていて、やっとの思いでバイパス側の歩道に出ることができた。ところが。

えっ。この先歩道がまったくないじゃないか。まさかこの交通量の路肩を歩けというのか。いや、それはあまりにも危険だ。

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箱根駅伝を歩くという企画は、ここで最大のピンチを迎えた。だってその道はそこにあるのに歩けないのだ。そういえば、1区最後の多摩川大橋のところもそうだった。だが今度は、おそらく戸塚中継所の先あたりくらいまでの3~4キロメートルほどの長い区間が空白になる。しかし、それもやむを得ない。だって、この先は人が歩いていけないことになっているのだから。

仕方なく旧東海道の道を歩く。不動坂からしばらくの間、右手にブリヂストンの工場が続いている。駅伝のコースからどんどん離れていくのがわかる。せめて途中の様子だけでも見てみたい。

ブリヂストンの工場がとぎれたところに右に行く道があり、そこを入ることにした。ここには大きなスーパーがあり、トイレを拝借しようと中に入ってみた。外観の見た目よりも内部があまりにも広く驚いてしまった。これだけ広いスーパーは東京にはないと思う。

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スーパーを出て橋を渡る。大規模な団地の脇を歩く。駅伝のコースの方向へ行きたいのだがJRの線路がその思いをはばむ。線路に沿って歩くうちに小さな横断歩道橋を発見。歩道橋の上からすぐ近くに戸塚駅が見えた。

日立製作所のソフトウェア工場の脇の坂道を登り、教会の前を通り、新興住宅地を抜けてコースの方向に向かうが道がわからず断念。仕方なく戸塚駅へ向かう。

戸塚駅でこの日は中断。次回は旧東海道を歩きながら戸塚中継所まで歩き、そこから3区に入ることにしょう。それにしても、中途半端で達成感のない日になってしまった。

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2005.07.25

箱根駅伝を歩く 第11回 2区 東戸塚~不動坂

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どんよりとした雲がたれ込めている。7月23日土曜日。東戸塚の駅前から横浜行きのバスに乗る。先週の終着点は山谷という交差点で、保土ヶ谷方面のバスなら必ず通過する筈だ。目的地に向かう間に窓外は本格的な雨模様になった。それでもここまで来てしまった以上、少々の雨でやめるわけにはいかない。

午前9時、山谷のバス停に到着。周囲の景色は、先週のあの炎天下の風景とはずいぶんと違って、やや寂しげな町に見えた。近くのコンビニでミネラルウォーターを仕入れ、いざ出発。この日の目標は2区の終着点、戸塚中継所に辿り着くこと。

片手で傘を持ち、もう一方の手でカメラを持つ、さらに肩にカメラケース兼小物入れの小さなショルダーバックを下げて歩く。これだけの持ち物だが、傘のせいで歩きにくい。ひとつ持ち物が増えるだけでこんなに動きが制約されてしまうものなのか。

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雨はおとなしくなり、それほど気にはならなくなってきた。だが先ほどから何度か気になる場面に出くわしている。

この道路は、電車の線路から離れているせいかバスの往来がとても多い。バス停もいくつもある。そのバス停で何故かバスが動かずに待っている。どうやら、親切な運転手さんが、こちらがバスに乗るものと思って待っているようなのだ。わかってはいるが、知らぬ顔をしてバスの脇を通り過ぎると、客ではないと気づいて出ていく。確かに待っていてくれるのは有り難いのだが、どう対処したら良いものか考えてしまう。お気持ちだけは有り難く戴いておこう。

「島忠」のチェックポイントを通過。2区の鶴見中継所から17キロメートルの位置。近くに平戸の立体交差点が見える。

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その平戸の立体交差の向こうに、第一パンという看板を掲げた大きなパン工場がある。交差点の信号を渡ると、その工場の敷地内だと思うが、小さなパン屋さんがあった。ガラス越しに店内をのぞくと黒山の人だかりができているではないか。ショーケースを見るとおいそうなパン。ひょっとして工場の直営店かも。早速店内へ。「規格外」の小さなラベルが貼られたパンが大量に並んでいた。安い。美味しそう。早速、カラフルな蒸しパンと、横浜あんパン物語とかかれたパンを購入。そのまま持ち帰ってあとで食べたがこれがなかなかの味。横浜あんパン物語も、あの小田原の守屋のアンパンには及ばないものの味もまずまずであった。

駅入り口という交差点を通過。コースの右に、落ち着いた田園風景の上に東戸塚駅前のあの高層マンションが見えた。まるで未来都市のようだ。

凸凹して歩きにくい歩道を行く。間もなく「赤関橋」のチェックポイント。ここで戸塚中継所までちょうど5キロメートル。

再び1号線の近くにJRの線路が見えるようになってきた。このあたりは工場街のようだ。再び大きなパン工場が見えてきた。今度はヤマザキ。ここも直売店があるのだろうかと探してみたがなかった。あったのはあのデイリーヤマザキだ。このほかにも大きな工場や大企業の研究所がいくつも並んでいる。

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天候はいつの間にか薄日がさすほどまでに回復してきた。正面に小さな森が見える。そこを起点に車の渋滞がつながっている。どうやらあそこが「不動坂交差点」のようだ。

2005.07.21

箱根駅伝を歩く 第10回 2区 保土ヶ谷~東戸塚

保土ヶ谷橋の交差点を右に折れてすぐのところに保土ヶ谷の本陣跡の表示を見つけた。

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本陣とは、江戸時代の大名行列などの宿泊施設で、お殿様が江戸へ上ったり下ったりする際に利用していたものだ。もちろんお殿様から家来の者まで全員が同じ宿に泊まったわけではないだろうが、それにしても、この宿代や道中の費用は江戸から遠く離れれば離れるほど大変であったに違いない。

ネットで調べたところによると、江戸時代の旅人は早朝に江戸市中を出発し、最初の宿になるのはおおよそ戸塚あたりだったらしい、だだし女性や高齢者がある場合などは、この保土ヶ谷で最初の夜を越していたようだ。考えてみれば、これまで大手町からここまで5回に分けて歩いてきたところをたった1日で歩いてきたということだから、江戸時代の人たちは相当足が丈夫だったに違いない。

「本陣跡」「脇本陣跡」の解説を読みながら歴史散歩気分で歩くことができた。

この昔の宿場町のうしろに小さな川が流れており、その川に妙な形の中州があった。あれなら壊してしまった方が余程すっきりするだろうにと思っていたら、近くに立て看板があり、どうやらそれが昔の一里塚の跡らしい。この塚を保存するために、わざわざ中州を残しているようなのだ。歴史的遺産を残すというのはたやすいことではないようだ。

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東海道の歴史にふれた保土ヶ谷宿を抜ける。すぐ近くに狩場インターの入り口がある。その狩場インターの入り口付近の写真でも撮ろうかとファインダーをのぞいた瞬間、後方でドカーン!!という爆発音のような音が鳴り響いた。道路の40~50メートル後方で、大型のトラックと乗用車が衝突事故を起こしたようだ。トラックの前左側のバンパーが壊れている。そのトラックの後方に前半分が大破した乗用車が見える。

たまたま道路工事をしていて、道路からかなり離れたところに歩道があったため歩行者に影響はなかったが、上下線ともに渋滞していた道路が、さらに渋滞しそうな感じだ。

事故見物をしていても仕方がないので前進。ふと見ると狩場インターの入り口でシートベルトか何かの取り締まりをしている警察官を見つけた。その取り締まりを道路から少し奥まったところでやっているので警察官は事故に気づいていないようだ。
「お巡りさ~ん。今そこで交通事故が起きて、うしろの車がこれないから、放っておくと大渋滞になるよ~!」と教えてあげた。少し前から車が一台も来ないので不思議そうにしていた警察官の数人が無線でなにやら交信をしたあと、走って現場に急行した。交通事故から、わずか数分でこれだけの数の警察官がやって来たら、事故を起こした本人たちもさぞ驚いたことだろう。

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そんなわけで狩場インターの入り口付近の写真を撮りそこなってしまった。ちなみに、ここで鶴見中継所から13.3キロ付近になる。道は緩やかだが上り坂になり始めた。あの権太坂への序章ということだろうか。

周囲の斜面は新しくできたマンションや戸建ての住宅が立ち並んで、新興住宅地の様相だが、遠くに竹林や杉の山も見える。急激に開発された町という印象が拭えない。

横浜横須賀道路のガードをくぐる。夏の日差しが遮られ、頬を流れる風が心地良い。上り坂は急な登りになってきた。権太坂のはじまりだ。

これもネットで仕入れた話題だが、権太坂の名前の由来には次のような話があった。
むかしむかし、東海道を歩いていた旅人が少し離れて農作業をしていた老人に「あの坂の名前はなんというんだい?」と訪ねると、もうずいぶんと耳が遠くなっていた老人は「あんたの名前はなんていうんだい?」と聞こえたらしく「ゴン太だぁ」といったとか。

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長いだらだら坂が続く、鶴見からここまで走ってきた選手たちにこの上り坂はとてもきつそうだ。

権太坂上という交差点がある。だが、ここがピークではない。環境事業局の前を通り抜け、宮崎脳神経外科という病院の下あたりでやっと下りが見えてきた。

夏の強い日差しで頭がズキヅキと痛む。あわてて水分補給をして下り坂へ向かった。

緑に囲まれた下り坂を進んでいくと。歩道の脇の草むらに何か動く者が。それは30センチメートルおきくらいに出没するトカゲたちだった。は虫類や両生類が苦手な者にとっては、走り抜けたい衝動に駆られる道であった。箱根駅伝が行われる冬に、このおびただしい数のトカゲを見てもらえないのが残念だ。

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平和台のバス停を越え、チェックポイントの「トヨタ」の前を抜ける。ここで鶴見から16キロメートル地点だ。この先で道は再び平坦になっている。山谷の交差点でこの日のウォーキングを中止した。地図によれば西にほぼ1キロメートルのところに東戸塚の駅がある模様だ。

近くにあったバス停で戸塚駅行きのバスに乗って駅に向かう。次回も電車とバスを乗り継いでこの山谷の交差点に戻ることにした。

2005.07.20

箱根駅伝を歩く 第9回 2区 横浜~保土ヶ谷

7月16日土曜日。横浜そごうの開店を知らせる鐘がけたたましい音をたてて鳴り始めた。ちょうど午前10時。地下道から地上につながる階段を上って国道1号線の脇に出た。どうやら国道15号線はこのあたりで第二京浜と合流して国道1号線になるようだ。

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すぐ近くに横浜駅大歩道橋のチェックポイントが見える。鶴見中継所から8.3キロメートル、東京大手町からだと29.7キロメートルになる。この日の予定は、横浜から保土ヶ谷を抜け2区の最大の山場になる権太坂を越えることだ。

歩きはじめてすぐに「みなとみらい」地区が見渡せる空き地に出た。ランドマークタワーやいくつかの高層ビルが並んでいるのが見えるが、その手前は広大な空き地になっている。やがてはここに巨大な高層ビル群が立ち並ぶのだろうか。東京で進められている高層ビルの建築ラッシュからすると、横浜に投資が回るのはまだ先のような気もする。どうせ空き地にしておくのなら、土日は駐車場として無料開放でもすれば、横浜の観光地に大勢の人を呼び込むことができるのではないだろうか。そういう大胆な発想をする政治家は出てこないものか。

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空き地の先にある高島町の交差点は、寂れた雰囲気が漂っていた。車で通過する時もとてもわかりにくい交差点ではあるが、歩いてみてもっと凄いことがわかった。何と横断歩道がない。車の道はつながっているのに、歩く人の道は数百メートル離れたところにある横断歩道か、すぐうしろにある歩道橋で反対側の歩道に渡り、さらに電車のガードと信号を渡ってやっと1号線に戻ることができる。これが思ったより不便だ。ここでの時間のロスは10分近くになる。

戸部警察署の交差点に近づく。このあたりは横浜駅と桜木町方面の繁華街に囲まれた静かな住宅街といった風情だ。国道1号線の歩道の一部が駅になっているような京浜急行の戸部駅を通過。道路の左右には、古くからある建物が道路の拡張とともに消えようとしている。床屋さんや、おばあさんが一人で頑張っているような総菜屋さんなど、あと数件の家がたちのけば片側3車線くらいの大きな道路が完成しそうだ。でも、ここにくるまでに沿線の家々では様々な物語が展開したのだろうと想像できる。それにしてもこの総菜屋さんのコロッケの何と美味しそうなことか。

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国道16号線の入り口を過ぎてしばらくすると、左手側に傾斜地が見えてきた。周囲を見渡すと、それまで平らな地形だったものが、ここを境に凸凹とした山の地形になっていることがわかる。どこまでの高さを山といい、どこから丘というのかわからないが、それほど高くはない山がこの先連なっているようだ。

西久保というところでは、道路のすぐ脇に「急傾斜地崩壊危険区域」なる看板もある。少し雨でも降れば土砂災害でも起こりかねない地域なのだろうか。

JRの線路が見えてきた。保土ヶ谷の駅が近そうだ。

右手に急な階段が見える。見上げてみると円福寺とある。ここがチェックポイント表にある2区の中間地点だ。

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保土ヶ谷の駅前はどことなく庶民的な風が流れているような感じがする。それにしても国道1号線は大渋滞のようだ。この先の交差点を左に行けば鎌倉、右に行けば国道1号線なのだが、どうやら夏本番を前に鎌倉方面に車が集中しているようだ。

保土ヶ谷橋を通過。このあたりから旧保土ヶ谷宿に入るようだ。

2005.07.12

箱根駅伝を歩く 第8回 2区 生麦~横浜

花の2区3.6キロメートル付近になる京浜急行生麦ガードをくぐる。この先も道路は平坦だが多少右に左にとくねっているようだ。

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ほどなくして右手に遍照院と書かれたお寺を発見。どう見てもそれほど長いとは思えない参道があり、途中に電車の踏切が見える。面白そうだと見ていると、遮断機が下りて京浜急行の電車が走り抜けていった。大銀杏を背にした昔ながらの山門と赤い電車のミスマッチな風景が妙に印象に残った。

次のチェックポイントの「産業道路ガード」が見えてきた。どうやらこれはJRの新子安駅のところにある高架の道路のようだ。

この産業道路を駅の方から渡ったところ、つまり国道15号線から見ると左方向に日本ビクターの工場がある。あのプロジェクトXでも話題になったVHS方式ビデオの発祥の地だ。

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プロジェクトXで話題になる前のことだが、仕事の関係でこの工場を訪問する機会があり、その時に「わが家のVHSは御社の製品で当時30万円もしたんですよ」と機種名をいうと、「それはいまだに名機といわれている機種じゃないですか」と教えられ、とても満足した気分になったことを今も覚えている。残念ながらそのビデオデッキは昨年、故障により引退したが捨てられずにわが家に残っている。

子安の町を歩いていると、左手の海側に昔ながら漁師町風の家並みが見えてきた。少し時代から取り残されたような家々の雰囲気が何ともいえない味を出している。細い路地、船溜まり、坂道・・・これは、どう見ても漁師町の風情だ。いつしか町の名前が「浦島」になっていたが妙にしっくりくる風景と町名だ。猫が歩いている。剣道着を着た少年とすれ違った。

神奈川新町の歩道橋。ここで鶴見中継所からちょうど6キロメートル歩いたことになる。あと2キロメートル。8キロは意外に長距離だ。あまりきれいな話しではないが、Gパンのさらに奥は汗だくで股ずれがはじまっている。これが思いのほか痛い。次回からはジャージか半ズボンも検討しなければならないだろう。季節はもうすぐ夏だ。

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徐々にだが周囲の建物や街の雰囲気から、横浜の駅が近づいていることがわかる。首都高の2階建ての道路も遠慮なく駅伝コースの上空を飛び越えてくる。東京オリンピックの頃は、これが都会的な風景だったのかも知れないが、今となっては薄汚い排気ガスの汚染源にすぎない。この首都高速道路は、いつまでこの姿をさらし続けるのだろうか。

やがて、みなとみらいと高島方面への分岐点へ。チェックポイントの兵庫屋はきもの店を見つけることができなかったが、横浜駅前の通りはすぐに見つけることができた。

「横浜駅大歩道橋」からほんの少し離れているが、横浜駅に到着。次回はここからスタートすることにして終了。時刻はほぼ12時。およそ2時間20分の長旅が終了した。

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ちなみに、このあと「みなとみらい線」で中華街へ行き昼食。さらに「みなとみらい線」=「東横線」、「南部線」を乗り継いで帰宅。腰に付けた万歩計は自宅到着でこれまで最高の20,000歩を記録した。万歩計の消費カロリーは1,695キロカロリーを示したが、中華街で食べた昼食で相殺されているかも知れない。

さて、次回はいよいよ、あの権太坂が待っている。

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2005.07.11

箱根駅伝を歩く 第7回 2区 鶴見~生麦

京浜急行の鶴見市場駅を出てほんの少し歩いたところに箱根駅伝の1区と2区の襷渡しをする鶴見中継所がある。ただしこの駅前の通りは道路が斜めに走っているため、はじめて訪れた人にはちょっとわかりにくいかも知れない。もし不安なら近くにいる人をつかまえて第一京浜、もしくは国道15号線はどちらかと聞けばよい。

2週間ぶりに鶴見中継所の「明日へ走る」の像をもう一度眺めて、さっそくスタート。今回の目標は、ここ鶴見中継所から横浜駅前までで距離にしておよそ8.3キロメートル。スタートは午前9時40分。天候は曇り。夏場にしては日差しも弱く、多少蒸し暑いが絶好のウォーキング日和だ。

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歩きはじめてすぐに軽い坂道になる。その坂道を上っていくと鶴見橋という橋になっている。下を流れているのはもちろん鶴見川ということになるが、左右をコンクリートの護岸で囲まれた川幅100メートルくらいのところの全体に水がゆったりと流れていた。

この鶴見橋の中央部を境に今度は長い下り坂が続き、その先に鶴見の市街地が見えた。大きなパチンコ屋のほか、大型のホームセンターが並んでいる。もうこのあたりまでくるとあきらかに郊外の町という雰囲気が漂ってくる。

鶴見といえば、この町にある登山用品とアウトドア関連の商品を置いているショップがお気に入りの店のひとつで、何年も前から時々訪ねてきていたが、ここしばらくはご無沙汰をしている。あの店は相変わらずにぎわっているだろうか。

鶴見社会保険事務所のあたりで道路は大きく右にくねる。これまで、上下で6車線くらいに広がっていた道路がまた狭くなるためで、将来はこの先も拡張されていくのだろうなと思わせるように、前方に見える高層マンションはみな道路からかなり下がったところにきれいに整列している。

総持寺入り口の交差点を過ぎ、そのまま前進。周囲には古い家屋が目立つ。やがて電車のガードが見えてきた。近づいてみると、そのガードのところが「国道」という名前の駅であることが分かった。地図を見ると鶴見線の駅のようだ。それにしても何と安直な駅名だろうか。

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それはともかく、この「国道駅」の駅舎を見て驚いてしまった。昔の映画に出てくるような超レトロな雰囲気が漂っているではないか。

高架の線路の下に二階建てくらいの高さのトンネル状の通路があり、その左右に、もうしばらくは営業はしていないだろうが、飲食店が並んでいる。赤ちょうちん風の店がもし全部営業していたなら、有楽町のガード下のようなエキゾチックな雰囲気を醸し出していただろうになと簡単に想像できる。

それにしても、これならあまり手を加えずに、戦後すぐの闇市の匂いがするシーンが撮影できるのにと思う。映画やテレビ関係者が見たら放ってはおけない筈だ。いやひょっとしたら、既に何度かはスクリーンやブラウン管に登場しているかも知れない。

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このレトロな風景を眺めているうちに、戦後から昭和の高度成長期くらいまでの夜の街を再現するテーマパークでも作ったら面白いのではと、あれこれ思いをめぐらせてしまったが、妙に雰囲気があって面白い空間であることに違いはない。この「国道駅」は、いずれは再チェックに訪れたい場所のひとつになった。

生麦駅入口の交差点を通過。箱根駅伝のチェックポイント表によれば、ここでスタートの鶴見中継所から3.1キロメートルになる。道はずっと平坦だ。

さらにその平坦な道を進んでいくと京浜急行のガードが見えてくる。そのガードの少し手前に「生麦事件之跡」と書かれた塚を発見した。何となく「やはり」という感じもしなくもないが。

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簡単に解説をすると・・・「生麦事件」は、幕末に薩摩藩の大名行列の前を馬に乗って横断した4人のイギリス人が薩摩藩士に斬りつけられたというお話。この事件はその後簡単に片がついたのではなく、この事件から薩英戦争が始まり、そのことがきっかけで薩摩藩とイギリスが手を結ぶことになり、さらにはこれによって軍事力を増した薩摩藩が江戸幕府を倒すという、もの凄い歴史の大舞台の幕開けになったのがこの場所なのだ。そう考えると、この塚はとても重要な歴史遺産といえるかも知れない。

この塚のすぐ脇にキリンビールの工場の入り口があった。箱根駅伝といえばサッポロビールの提供なので、ここにキリンビールの工場がありますなんて絶対にアナウンスしないだろう。でも、このキリンビールの工場は、たしか誰でも工場見学ができるほか、ビアレストランもあるらしい。後ろ髪を引かれる思いで前進。

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