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2005年9月

2005.09.15

箱根駅伝を歩く 第24回 4区 小田原~風祭

この箱根駅伝の4区小田原付近を歩く数日前に「箱根駅伝小田原中継所を移動」というニュースを耳にした。来年から4区を21キロから18.5キロに、5区を20.9キロから23.4キロにするらしい。

4ku3067いつも持ち歩いている日本テレビのホームページにある箱根駅伝通過予定表によれば、オリオン座(地図上で確認=2003年に取り壊した模様)が18.2キロメートル地点だから、単純計算でそこからおよそ300メートル先ということになる。だとすれば右手にある、あの見る方が恥ずかしくなるようなお城の建物のういろう屋の向かいあたりか、もしくは箱根口の交差点あたりということになる。

さて、ここでふと思ったのだが、我こそこの中継所変更のニュースを聞いて最初に新しい中継所を訪れた非小田原在住の箱根駅伝ファンかも知れない・・・どうでもいいことだが。それにしても受け手からすればかなり不親切なニュースで5区の距離のことだけが問題で、どこが新しい中継所になるのかなどということは一切説明がない。

そんなわけで本来ならここで4区終了ということになるのだが、現時点では箱根登山鉄道風祭駅近くにあるあの大きな蒲鉾店の前が小田原中継所ということになっているので、そこを目指すことに。

4ku3072 このあたりも上下2車線に歩道がついており、さらに電信柱がないため広々とした感じがあり歩いていても気持ちがよい。

話が戻るが小田原中継所移動のニュースはJ-WAVEの朝の番組ではじめて耳にした。そこで、そのことをもう少し詳しく調べようとネットで検索したのだが新聞各社もまだその記事はアップしていないため、詳しいことはわからずじまいだった。

ならばと本家本元の関東学生陸上競技連盟のホームページを見てみると、これがお粗末なことに1年前の参加要項のようなものを掲載しているだけで、詳しい話どころか何もわからない。おいおい、もっとタイムリーに情報発信してくれよ。せめて新聞やラジオなどのマスコミがニュースにする前か、その直後にはニュースリリースを発表すべきだ。と、いいたい。スポーツは得意でもそういうことは苦手なのだろうか。さすが体育会系だ。

早川口交差点のすぐ上にあるガードのところをJR東海道線の電車が走り抜けていく。そのガードを越えると片側1車線の道路になった。

4ku3083 このあたりでは、どうやらあの丸い旧式の郵便ポストが現役で使われているようだ。懐かしい。そんなことを考えていたらすぐ近くに「懐かし横丁」なる建物を発見。朝早のせいか中に入ることはできなかったが、入らずとも入り口脇にいくつも貼り付けてあるホーロー看板を眺めるだけで充分懐かしさを満喫することができた。ボンカレーや星飛雄馬の入ったオロナミンC、キンチョール、ハイアース・・・・全部写真に納めた。さて本題からそれるが、もしレトロ看板に興味があるならここがお薦めだ。

箱根登山鉄道の箱根板橋駅を通り過ぎると道路(歩道)はどんどん狭くなっていく。前方に小高い山が見え、さらにその奥に箱根の山々が見えた。いずれ行くから待ってろよ。

4ku3100 箱根登山鉄道のガードをくぐる。左手に大きな川が見える。その川のずっと向こうには「箱根ターンパイク」の白い文字が見えた。なぜかあの文字を見るとロサンゼルスのHOLLYWOODの文字を思い出してしまう。ともあれ、とうとう箱根の入り口まで来てしまったのかと一瞬だが感傷的な思いがよぎる。その先は、なぜか人家が途切れハイキングコースでも歩いているような感じになった。すぐ右上の斜面のところが線路になっておりロマンスカーがゆっくりと通り過ぎていった。が、今度はすれ違いに新宿行きの普通電車が。都会で見かける電車が、こんなところを走っているのかと思うと不思議な感じもした。

4ku3110 4区、いや来年からは5区になる最後のチェックポイント東風祭停留所を通過。日本橋から87キロメートルの表示の向こうにあの蒲鉾店が見えた。間もなくゴール。次回はいよいよ5区山登りが待っている。

さて、帰りがけに箱根登山鉄道の風祭駅に。ここでおもしろい風景を見た。なんとこの駅は電車の車両ひとつ分しかホームがなく、しかも、乗り降りに際しては駅員さんが手動でドアを開けるのだ。駅員さん、ご苦労様。その後、たったふた駅で小田原に到着。即、東口の守屋へ直行。あの懐かしのあんパンとの再会を果たした。

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2005.09.14

箱根駅伝を歩く 第23回 4区 鴨宮~小田原

ただわめくだけの幼い子を連れた若い夫婦が3組。これだけで店内は騒音の渦。やたらに塩辛いソーセージマフィンを口の中に押し込み、コーヒーを飲む。それにしても朝食をマクドナルドで済ませてしまおうというのだろうが、ここにいる母親たちは判を押したように子供と向き合おうとしない。子育ての日常を離れて朝から外食気分ということか。ろくに面倒をみてもらえない子供は好き勝手にはしゃぎ放題だし、どうせただの運転手でしかない父親はそれを咎めようともしない。最悪だ。早々にコーヒーを飲み干しマクドナルドを出る。

前回、朝マックに飛び込んでから6日と22時間が過ぎている。

箱根駅伝を歩くという冗談のような思いつきからもうすぐ4ヶ月になろうとしている。この間ほぼ毎週のように歩き続け、とうとう酒匂川を渡って小田原に入り、この日は、このまま小田原中継所まで到達しようとしている。この数ヶ月の間に何が変わったのだろうか。土曜日の午前中の予定がこれになったことだけだろうか。いや、それだけではない。今となってはこの尺取り虫のような旅が、日々の単調な暮らしをエキサイティングなものに変えたし、1週間があっという間にやってくるようになった。

このウォーキングが1週間の中心になったといってもいいだろう。

4ku3009 曇り空の酒匂川を渡る。鉛色の浅瀬に白鷺の翼が鮮やかだ。上流にカネボウ化粧品の工場が見える。かなり前のことだが、この会社の美白化粧品の販売促進用の映像を作ったことがあり、その取材のためにあの中にある研究所を訪ねたことがあった。そういえば、あの時にお会いした女性の研究者に、今再びお会いしたら顔中真っ白になっているのだろうか。恐ろしく白い女性の顔を思い浮かべ、勝手に気味悪がっている自分に気づいた。白鷺のたたりか。

酒匂川を渡ると平らな道がずっと先まで続いていた。

ところどころに大きな松の林が見える。道路の脇にそうした松の木を見つけ覗いてみた。どうやらお寺のようだ。それにしても、この東海道の道中には松の大木が何本あるのだろうか。

4ku3023 しばらく行ったところに箱根駅伝4区16.7キロメートルのチェックポイント『山王橋の交差点』があり、その対角線の角に、やはり松の大木に囲まれた山王神社があった。どうやら、このあたりの由緒正しき神社仏閣はみな松の大木に囲まれているようだ。

山王神社の前を過ぎたところから、道路は片側2車線で歩道が整備され、しかも電信柱が消えて急に視界が開けてきた。まるで、ここから小田原の市街ですよと語っているようでもある。

4ku3024 最近色々なところで表通りから電信柱が消えている。これはとても歓迎すべきことだ。街がきれいに見えるし、広く見える。それに空も見える。開放感が違うし、道路に面した家や商店も立派に見える。

ほどなく行ったところで「江戸見付一里塚址」なる石碑を発見。近くにあった看板によれば、ここは通常の一里塚というだけでなく、どうやらここからが小田原城下ということらしい。江戸見付の意味は小田原城から江戸に向かう出口ということなのだそうだ。

4ku3039 この小田原にも、古風な建物がいくつも残されているようだ。途中、武家屋敷とおぼしき家の格式のある門を見つけた。

このほかにも江戸時代の商家風の建物や、木造の洒落た洋館の眼科医院、ひと昔もふた昔も前の建物がポツポツ並んでいた。

小田原の市街に入る。車の数も人の数も多い。さすが、このあたりの中核都市だ。

4ku3063 国道1号線は本町交差点「小田原宿なりわい交流館」の角を右に曲がる。この通りにもレトロな雰囲気の建物がいくつも並んでいる。中でも小西薬局の看板が出ている薬屋さん、その隣の今井酒店のあたりは古風な雰囲気が漂っている。

(次回に続く)

2005.09.10

箱根駅伝を歩く 第22回 4区 国府津~鴨宮

カメラをメモ代わり使うなどということは、フィルムの時代には考えられなかったことだが、デジタルカメラになってそれが当たり前になった。毎回、わずか7~8キロメートルの散策だが100枚近い写真を撮っている。これがあとで文章を書くときに役に立つ。ある意味でこうしたデジカメの使い方を躊躇なくできるようになったことが、この旅を始めてからの唯一の成果かも知れない。

4ku2077 さて、国府津の街はレトロな建物に興味のある者にとっては、とても魅力的なところで、その気になればあっという間に数百枚分のシャッターを押してしまうことだろう。この箱根駅伝を歩くという旅が終わったら、国府津に舞い戻り写真を撮ろうと思う。それくらい街並みが魅力的だ。

この街には戦前の写真に出てくるようなレトロな建物がいくつも並んでいる。江戸時代の町屋のような建物もあれば、明治か大正時代の洋風のたたずまいを感じさせる家、あるはコンクリート造りのがっしりと建物まで、戦前の映画のセットを作るなら是非参考にしたい建物がいくつも並んでいる。

4ku2084 おそらく60年前の戦争で、日本のあちこちの中小都市が爆撃されていなかったら、街の風景はどこでもこのようなものではなかったろうか。新しい家も古くからの民家も、ひとつの街の風景の中に混在している。この不思議な風景がとても新鮮に見えた。

4ku2080勝手に江戸の町屋と名付けた家の玄関の梁に、昔の電話番号が何枚か貼り付けたあった。一枚目は「電話二十五番」というとても古風なもの、二枚目は「電話(電電公社マーク付き)国府津2025」この二つを見るだけでも、電話番号の変遷や歴史が伺えて面白い。つまり、最初はこの町の25番であったものが、電話の数が増えて国府津2025番になり、おそらくそのあと国府津の局番が決まり、さらに市外局番が付加されて現在に至ったのだろうと推測できる。このプレートだけでも歴史を伝えるレアものの遺産といえる。

その江戸の町屋の向かい側にひとつだけ気になる洋館が・・・あれ、まったく同じ建物の写真をどこかで撮ったぞ。デジカメのスイッチをプレイモードにして、今日撮影した写真のはじめの方を再生してみた。あった。これだ。

4kuextr 二宮の駅の近くで撮影した白い洋館風の建物。そして目の前にある白い洋館風の建物。こちらは多少改造されてはいるが、外観のデザインがまったく同じではないか。これは驚きの大発見だと思う。これも、自宅に戻ってからネットで調べてみた。蛇の道は何とやらで、しっかりこの二つの建物が同一の設計であると調べていた人がいた。しかも、そこでわかったことは、この二つの建物は大正13年に建てられた郵便局であること。それに双方とも現在は郵便局としての役目を終えているということらしい。なるほど、それなら別々の街にまったく同じ建物が存在しても不思議なことではない。

あれこれ写真を撮りながら、後ろ髪を引かれる思いで国府津の街を出る。

しばらく歩いたところで、「東海道小八幡の一里塚」と書かれた看板を発見。どうやらここが東海道の19番目の一里塚のようだ。これもあれこれネットで調べたことではあるが、一里塚は通常、道の両側に9メートル四方くらいの塚を作り、それぞれに男塚、女塚の名が付けられる。またこの塚には榎木を植えるというのが正式名ものらしく、夏は旅人の休憩所として使われていたようだ。なぜ、榎木かといえば、徳川家康が家臣に「余の木を植えよ」といったのだが、聞き間違えて榎木になったらしい。しかもそのことは古文書にも残っている。一里塚について詳しいことは、このサイトがお薦めだ。 

4ku2097 一里塚からさらに前進すると、あの大磯の松並木にも劣らない松の並木道になった。並木の向こう側には海水総合研究所という、かつての専売公社の頃に作られたとおぼしき塩に関する研究所があった。この研究所前の歩道を整備すれば、ここも立派な観光資源になりそうな気もする。このまま放置しておけば並木はさらに荒れてしまうことだろう。

箱根駅伝のチェックポイント「ミツワ家具」が見あたらない。しかし、ここは間違いなく1号線、道に迷うことは絶対になさそうだ。

4ku2107 道中、あれこれ面白いものを見つけてきたが、ここにもあった。「コンテナ居酒屋」というやつだ。よく見ると鉄道の貨車というか、一昔前のコンテナがあり、それが居酒屋になっていた。もし、夕暮れ時に歩いていたらちょっと覗いてみたくなるような雰囲気ではあるが、残念ながらまだ午前中である。

酒匂中学校のバス停の先にマクドナルドを発見。地図によれば、このすぐ先が酒匂川になっている。この交差点で、この日のウォーキングは中断。朝マックへ走った。これじゃ痩せそうにない。

2005.09.09

箱根駅伝を歩く 第21回 4区 二宮~国府津

JR東海道線の二宮駅で降りる。この日のスタート地点はこの駅前の歩道橋から100メートルくらい大磯方面に戻った横断歩道から。到達目標はおよそ7キロメートル先の酒匂川のつもりだ。

二宮の駅を出てすぐのところにガラスのウサギを抱えた少女の銅像が。身なりは防災ずきん。戦災と何か関係があるのだろうか。海辺に近いこんなのどかなところにも戦争の傷跡があるというのか。ほんの少しだけ気になり家に戻ってから調べてみた。ここに、そのお話しの概略と碑文が書かれてあった。悲しい物語だ。

東京や横浜といった大都市が、爆撃で消失したという話しはよく聞く。しかし、このあたりのように国道1号線に沿って家がポツポツと並んでいるようなところは、爆撃する方も効率が悪いだろうから、もっと住宅や建物が集中しているようなところに向かって行ったのではないか。ガラスのうさぎも機銃掃射とある。つまり爆撃ではない。(これはあくまでも個人的な仮説で、戦災に遇われた方々を軽んじているわけではない。念のため)

4ku2003 なぜ、こんなことを書くのかといえば、この二宮から国府津あたりまでの町の風景を眺めていると、どう見ても戦前から建っているのではないかと思うような建物がとても多く目につくからだ。二宮の駅の近くにある洋風の建物などどう見ても戦後の建築とは思えないし、国府津に至っては戦前の建物のテーマパークと言い切ってもいいだろう。話しが先走ってしまったが、この日歩いたコースはまさにレトロな建物たちとの対話の旅という雰囲気であった。

歩きはじめてすぐに、箱根駅伝4区の8キロメートルのチェックポイント吾妻橋を通過。ここでちょうど1キロ歩いたことになる。この橋も充分過ぎるくらいレトロな味を出している。

4ku2020 それからほんの少し歩いて出会ったのが、これも最近ではあまり見かけなくなった火の見櫓。これは戦後のものだろうが、鉄骨を組み合わせた塔の上に屋根付きの半鐘が・・・いやよく見ると防災無線のスピーカーとサイレンのようなものが取り付けてある。ともあれ、こんな火の見櫓が、かつてはどこの田舎町にもあった。近づくと、火の見櫓の足下には道祖神が並べられ、花が手向けられてあった。

このあたりは歩道の幅が広く、しかも平らでとても歩きやすい。道々、日本橋から何キロという表示が立っているが、ここで75キロメートル。大手町と日本橋ならあまり離れていないから、もう東京から75キロも歩いてきたことになる。ほんの少し誇らしい気分だ。すぐ近くに江戸より十八里の碑があった。待てよ、1里が4キロメートルとして18をかけると72キロメートルじゃないか。この3キロの誤差はどう説明すべきか。この一里塚から道は大きく左に曲がりながら同時に下り坂になる。

坂を下ったところに押切橋という橋があった。橋の上から海の波が間近に見えた。すぐ下の川には、体長1メートルほどの大きな鯉が何匹も悠然と泳いでいた。あの湘南大橋や花水橋から見えた巨大な魚もこれと同じ鯉だったかも知れない。

4ku2044 さらに歩いていくと、小田原市に突入。と、すぐに再び二宮町に、そしてすぐまた小田原市に・・・この表示板だって業者に発注すれば、そこそこの値段がつくだろうに。

このあたりの民家のつくりを見ると、大正、昭和の民家の建築様式がいくつも残っている。モルタル壁が流行する前の様式というのだろうか、板壁、瓦葺きで、木の建具。小さなガラス。なぜか郷愁をおぼえる。現在のように柱と柱の間にパネルをかぶせ、数え切れないほどの釘をエアガンのようなもので打ち込んでいくのとは違う、手間暇かけた家づくりの味がここにはある。これも一種のレトロだろうか。

「浅間神社入り口」の横断歩道のところから、海に落ち込んでいくような下り坂になる。坂を下ってすぐに、4区の中間地点「前羽小学校前」の横断歩道に。

4ku2068 しばらく行ったところで、大量の魚が天日干しになっているお店を発見。小田原の土産物店に並んでいる干物も、このようなところで作られたものなのかも知れない。

海沿いの道を歩く。西湘バイパスの下に海が見える。波の音も聞こえる。おそらく箱根駅伝のコースの中で、波の音が間近に聞こえるのはここだけかも知れない。坂道を上るとすぐに国府津の駅前に出た。(次回に続く)

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