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2011年3月

2011.03.29

大声の街頭募金やめて!!

大人になろうニッポン!! その1

大声の募金活動やめてくれといいたい。

ここのところ街頭で募金活動をするグループを見かける。とても立派な活動だと思う。

だが、勘弁してもらいたいのが、ヒステリックにも思えるあの募金を呼びかける大きな声だ。

小中学生たちが、赤い羽根の募金をするなら元気があってよいと大きな声も許せる。

ところが、大学生や一般の社会人の大声、特に男性の大声はとても不快だ。

あれじゃあ気の弱い女性なら、募金をしたいと思っていても引いてしまうだろう。

大声で呼びかけなくても、大勢で募金箱を抱えていれば何をしているかぐらい誰だってわかる。

静かに立って、募金をしてくれた人に感謝の気持ちを丁寧に伝えればよいのではないか。それを小学生のように元気よくやる必要はどこにもないと思う。

募金というのは、個人が自分の気持ちをささやかなお金に換えて示すもので、大声で脅されてやるものではない。

それと付け加えておきたいのが、大勢が揃って街頭に立つこと、あれ、どんな意味があるの?
大勢いるなら、一カ所に固まっていないで周囲に分散したら、威圧感もなくなるし、募金をしてもらえる機会もさらに高まるのではないか。あまり好きではないが、某宗教団体の人たちが街頭に立つときは、こうした戦術をきちんと心得ている。参考にするのも悪くないだろう。

街頭募金を集めるふりをして後で懐に入れてしまうという、驚きの詐欺行為も起きているという。街頭募金必要かな?

ニッポン、もっと大人になろう!!

2011.03.26

農作業の延期を呼びかける馬鹿行政担当者へ

福島第一原子力発電所の事故を受けて、福島県は3月25日に県内の全農家に対し、田植えや種まきなどの農作業を当面延期するよう要請したという。

放射性物質の影響があるから農作物は作らない方がよいだろうということらしいが、もう少し頭を使った判断はできないものだろうか。

たとえば、いま流行の『バイオ燃料』の原料を一斉に栽培するといったことは思いもつかないものか。

作物は、たとえば雑草に強い遺伝子組み換え大豆やトウモロコシなどがよいかも知れない。米も作れない、野菜もだめなら次の手を考えるのが政治や行政のやることではないだろうか。ただやめましょう。補助金下さいといった無能な考えはやめるべきだ。

バイオ燃料の材料なら人間が口にするわけでもないし、ガソリンに混ぜてしまえばよいわけで、人に対する害も少ない。それに、これからどうなるかわからないエネルギー問題を国民に考えさせる絶好の機会にもなるはずだ。しかも、これまで代々農家の人々の手で耕されてきた広大な農地を耕作放棄地にすることもない。

政治家や行政担当者の機転の利いた判断を期待したい。

2011.03.22

安全値と安心値

東京電力福島第一原発の事故の影響により、露地栽培されたホウレンソウなどから食品衛生法の暫定規制値以上の放射性物質が検出され、政府は21日、当面の間、本県産のホウレンソウとカキナについて、出荷制限の措置を取るよう指示した。

官房長官の記者会見もひたすら生命に直ちに影響を与えるものではないの一点張りで、イマイチ歯切れの良いものではなかった。

だが、既に風評被害が始まっており、指定地域以外のホウレンソウも店頭では売れない状況にあるらしい。官房長官が「冷静な対応を」と呼びかける気持ちもわからないではない。

食品衛生法の暫定基準値が国の基準なら、われわれ国民はそれが安心を得られるぎりぎりの『安心値』であると納得するしかないだろう。だが、この暫定基準も必ずしも直ちに健康に影響を与えるものではない許容の範囲のさらに下にあるようで、これなら絶対に安全だという『安全値』はもっと上に設定されているようだ。

だとしたら、この『安心値』である暫定基準は、何を根拠に作られたのだろうか。中途半端だから暫定ということでも仕方がないが、どうせどこかの学者さんたちが集まって宇宙線や自然界に存在する放射線量などから『これくらいなら』と決めたのだろうか。

それにしても、直ちに人の健康に影響がない野菜の出荷制限なら、かえって不安を煽ることにならないだろうか。

どこまでが『安全で』どこまでが『安心なのか』、もっとわかりやすい線をはっきり決めて欲しい気もする。

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2011.03.21

公共広告もう結構

東北関東大震災以来ずっと「♪AC~」が流れている。
同じ公共CMばかりが続きもう限界だ。

いつの頃だったか正月にカレーのCMばかりが流れていて「ああもう絶対にこのカレーだけは食べたくない」と思ったことがある。同じ商品名を聞くたびに吐き気がした。もちろんそのカレーはそれから一度も食べていない。そういえばあのブランドは今どうなったのだろうか? 今思い出すだけでも気分が悪くなる。

あの公共広告も、必ずしも悪いことをいっているわけではない。「たしかにそうだよな」と頷けるところもある。が、これ以上続くと大勢の視聴者の脳に拒絶反応を与えることになるだろうと思う。

2011.03.16

原発 ヤリ玉 ちょっと待て

特段の原発推進派ではない。だが、今ネット上で繰り広げられている原発反対論には賛同できない。

想定を超える事故、しかも地震ではなく津波で起きた惨事をわけもわからずに、ただ怖いからとか、被害が出ているからという理由だけで否定するのは最低だと思う。

だいたい今、問題になっているのは原発の中心部にある原子格納容器の問題ではなく、その周辺部で起きている使用済み核燃料の問題で、原子力発電所そのものの問題ではない。

問題の本質を理解しないまま、ただ怖いから、わからないから、それだけの理由で原発はもういらないなどとわかったようなことをいう。それにはとてもむかつく。オマエラ何を知っているというのか?

実は、つい先週、地震の起こる前、今、島根県で建設されている最も新しい原子力発電所のまさに原子炉格納容器の中に入って仕事をしてきたばかりだ。

だからというわけではないが、何もわからない人たちが、右往左往してあれこれ無責任に勝手な意見を放つのは待てよと思う。

もっと先のこと、未来のことを考えて冷静な意見を述べられる人はいないのだろうか。

色々な人の意見をもっと聞くべきなのではないだろうか?

原発無用論? ホント?

福島原発は、放射線だけでなく原発無用論もまき散らしているようだ。

早くもネットの世界では、原発無用論が飛び出している。これほど地震や津波の多い国に原発を作るのは危険、それに人間の作った巨大で複雑な機械は、ジェット機も高層ビルも交通システムも、みな危険性をはらんでいる。だから原発だって、もういらないというのがその主張のようだ。原発が危なくなったらすぐにこれかよ。

20世紀は科学技術の発達があったからこそ、人々の暮らしを豊かなものに変えることができた。もちろん、その過程で数え切れない事故やトラブルを繰り返してきたが。その科学技術の発展を大地震や津波が怖いからやめにしようというのも極端な意見のような気がするがどうだろう。むしろ、これを教訓にしてさらに確かな技術を身につけていこうというのが、人類の未来のために必要なことなのではないだろうか。

原発は怖いからいやだ。とか、遺伝子組み換えは人間に悪影響を与えるだろうから反対だとか。これまでの知識や価値観では理解できないようなことには、とりあえず「よくわからないから反対」というのは簡単だし、何も学習したくないというのと同じだ。無責任な今のガキどもがいうならまだしも、立派な大人がそんな論調でこれからの日本を語って欲しくはない。

もっとも、無責任な若者たちは「原発に世話にならない○○」などという表現を巧みに使ってネットの世界を泳ぎ回っている。これまでさんざん原子力発電所でつくる電気のお世話になってきた連中にそのようなことをいう資格があるのだろうか。

地球温暖化の進行を止め、なおかつ現在の暮らしを維持しようと思えば、二酸化炭素を放出しない原発を抜きに未来を論ずることなどできないはずだが、それでも原発はいらないといえるのだろうか?

海外でも、原発建設の凍結が話題に上りはじめ、原発は世界のお荷物になろうとしている。しかし、注目したいのは、スイスの論調で、「原発を作る上でいかに安全性を確保できるかを議論したい」と前向きで、かつ取るべき対策を明確に論じているところが、今の日本の論調よりはるかに大人のようにも思える。

その列に並ぶな

大震災、その後発生した原子力発電所の事故。連日テレビを通じて流される被災地の映像。さらに、輪番停電や電車の間引き運転。人の心を不安におとし入れる材料は充分揃っている。そうなれば先行きの不安が増し、何かしておかなければと思う。

そんな気持ちはわかる。だからといって、ガソリンスタンドやスーパーマーケットの長蛇の列に加わることが、本当の意味で安心につながることなのだろうか? 自分さえ良ければそれでいいというにならないだろうか? 社会不安を助長する行為に荷担しているとは思えないのだろうか?

一部の人たちは、もうすでに『冷静さ』を失いつつあるではないだろうか?

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ガソリンスタンドの列

2011.03.15

買い占め禁止の大キャンペーンを

3月11日に発生した「東北関東大震災」の影響が身近なところにもやってきた。
近所のガソリンスタンドは、地震の翌日から長蛇の列ができて、現在では開店休業状態。ここばかりではない、このあたりのすべてのガソリンスタンドからガソリンが消えた。

どんな心理が働いているのかわからないが、このままガソリンの購入ができなければ数週間で街から走っている車が消えるだろうと思う。いい気になって車を走らせている場合ではない。ガソリンが消えれば、当然物資の輸送も止まり、都会には恐ろしいほどの物資不足が訪れる。

それを見越してかどうかわからないが、近所のスーパーには長蛇の列ができて、棚から品物が消えつつある。

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マスコミは、地震の被災地や原発のことだけに終始しているが、足元の暮らしにも目を向け、買い占め禁止のキャンペーンをはじめないと大変なことになるだろう。

もちろん、地震や津波で被災した人たちへの物資の供給も危ういものになりかねない。

最悪のことは、考えたくもないが、都会で物資が不足しはじめたら治安の悪化や暴動になることだって想定できなくもない。

こんな時だからこそ、人と人とが心を合わせなければ、この難局は乗り越えられないかも知れない。

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