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連載 箱根駅伝を歩く

2005.09.15

箱根駅伝を歩く 第24回 4区 小田原~風祭

この箱根駅伝の4区小田原付近を歩く数日前に「箱根駅伝小田原中継所を移動」というニュースを耳にした。来年から4区を21キロから18.5キロに、5区を20.9キロから23.4キロにするらしい。

4ku3067いつも持ち歩いている日本テレビのホームページにある箱根駅伝通過予定表によれば、オリオン座(地図上で確認=2003年に取り壊した模様)が18.2キロメートル地点だから、単純計算でそこからおよそ300メートル先ということになる。だとすれば右手にある、あの見る方が恥ずかしくなるようなお城の建物のういろう屋の向かいあたりか、もしくは箱根口の交差点あたりということになる。

さて、ここでふと思ったのだが、我こそこの中継所変更のニュースを聞いて最初に新しい中継所を訪れた非小田原在住の箱根駅伝ファンかも知れない・・・どうでもいいことだが。それにしても受け手からすればかなり不親切なニュースで5区の距離のことだけが問題で、どこが新しい中継所になるのかなどということは一切説明がない。

そんなわけで本来ならここで4区終了ということになるのだが、現時点では箱根登山鉄道風祭駅近くにあるあの大きな蒲鉾店の前が小田原中継所ということになっているので、そこを目指すことに。

4ku3072 このあたりも上下2車線に歩道がついており、さらに電信柱がないため広々とした感じがあり歩いていても気持ちがよい。

話が戻るが小田原中継所移動のニュースはJ-WAVEの朝の番組ではじめて耳にした。そこで、そのことをもう少し詳しく調べようとネットで検索したのだが新聞各社もまだその記事はアップしていないため、詳しいことはわからずじまいだった。

ならばと本家本元の関東学生陸上競技連盟のホームページを見てみると、これがお粗末なことに1年前の参加要項のようなものを掲載しているだけで、詳しい話どころか何もわからない。おいおい、もっとタイムリーに情報発信してくれよ。せめて新聞やラジオなどのマスコミがニュースにする前か、その直後にはニュースリリースを発表すべきだ。と、いいたい。スポーツは得意でもそういうことは苦手なのだろうか。さすが体育会系だ。

早川口交差点のすぐ上にあるガードのところをJR東海道線の電車が走り抜けていく。そのガードを越えると片側1車線の道路になった。

4ku3083 このあたりでは、どうやらあの丸い旧式の郵便ポストが現役で使われているようだ。懐かしい。そんなことを考えていたらすぐ近くに「懐かし横丁」なる建物を発見。朝早のせいか中に入ることはできなかったが、入らずとも入り口脇にいくつも貼り付けてあるホーロー看板を眺めるだけで充分懐かしさを満喫することができた。ボンカレーや星飛雄馬の入ったオロナミンC、キンチョール、ハイアース・・・・全部写真に納めた。さて本題からそれるが、もしレトロ看板に興味があるならここがお薦めだ。

箱根登山鉄道の箱根板橋駅を通り過ぎると道路(歩道)はどんどん狭くなっていく。前方に小高い山が見え、さらにその奥に箱根の山々が見えた。いずれ行くから待ってろよ。

4ku3100 箱根登山鉄道のガードをくぐる。左手に大きな川が見える。その川のずっと向こうには「箱根ターンパイク」の白い文字が見えた。なぜかあの文字を見るとロサンゼルスのHOLLYWOODの文字を思い出してしまう。ともあれ、とうとう箱根の入り口まで来てしまったのかと一瞬だが感傷的な思いがよぎる。その先は、なぜか人家が途切れハイキングコースでも歩いているような感じになった。すぐ右上の斜面のところが線路になっておりロマンスカーがゆっくりと通り過ぎていった。が、今度はすれ違いに新宿行きの普通電車が。都会で見かける電車が、こんなところを走っているのかと思うと不思議な感じもした。

4ku3110 4区、いや来年からは5区になる最後のチェックポイント東風祭停留所を通過。日本橋から87キロメートルの表示の向こうにあの蒲鉾店が見えた。間もなくゴール。次回はいよいよ5区山登りが待っている。

さて、帰りがけに箱根登山鉄道の風祭駅に。ここでおもしろい風景を見た。なんとこの駅は電車の車両ひとつ分しかホームがなく、しかも、乗り降りに際しては駅員さんが手動でドアを開けるのだ。駅員さん、ご苦労様。その後、たったふた駅で小田原に到着。即、東口の守屋へ直行。あの懐かしのあんパンとの再会を果たした。

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2005.09.14

箱根駅伝を歩く 第23回 4区 鴨宮~小田原

ただわめくだけの幼い子を連れた若い夫婦が3組。これだけで店内は騒音の渦。やたらに塩辛いソーセージマフィンを口の中に押し込み、コーヒーを飲む。それにしても朝食をマクドナルドで済ませてしまおうというのだろうが、ここにいる母親たちは判を押したように子供と向き合おうとしない。子育ての日常を離れて朝から外食気分ということか。ろくに面倒をみてもらえない子供は好き勝手にはしゃぎ放題だし、どうせただの運転手でしかない父親はそれを咎めようともしない。最悪だ。早々にコーヒーを飲み干しマクドナルドを出る。

前回、朝マックに飛び込んでから6日と22時間が過ぎている。

箱根駅伝を歩くという冗談のような思いつきからもうすぐ4ヶ月になろうとしている。この間ほぼ毎週のように歩き続け、とうとう酒匂川を渡って小田原に入り、この日は、このまま小田原中継所まで到達しようとしている。この数ヶ月の間に何が変わったのだろうか。土曜日の午前中の予定がこれになったことだけだろうか。いや、それだけではない。今となってはこの尺取り虫のような旅が、日々の単調な暮らしをエキサイティングなものに変えたし、1週間があっという間にやってくるようになった。

このウォーキングが1週間の中心になったといってもいいだろう。

4ku3009 曇り空の酒匂川を渡る。鉛色の浅瀬に白鷺の翼が鮮やかだ。上流にカネボウ化粧品の工場が見える。かなり前のことだが、この会社の美白化粧品の販売促進用の映像を作ったことがあり、その取材のためにあの中にある研究所を訪ねたことがあった。そういえば、あの時にお会いした女性の研究者に、今再びお会いしたら顔中真っ白になっているのだろうか。恐ろしく白い女性の顔を思い浮かべ、勝手に気味悪がっている自分に気づいた。白鷺のたたりか。

酒匂川を渡ると平らな道がずっと先まで続いていた。

ところどころに大きな松の林が見える。道路の脇にそうした松の木を見つけ覗いてみた。どうやらお寺のようだ。それにしても、この東海道の道中には松の大木が何本あるのだろうか。

4ku3023 しばらく行ったところに箱根駅伝4区16.7キロメートルのチェックポイント『山王橋の交差点』があり、その対角線の角に、やはり松の大木に囲まれた山王神社があった。どうやら、このあたりの由緒正しき神社仏閣はみな松の大木に囲まれているようだ。

山王神社の前を過ぎたところから、道路は片側2車線で歩道が整備され、しかも電信柱が消えて急に視界が開けてきた。まるで、ここから小田原の市街ですよと語っているようでもある。

4ku3024 最近色々なところで表通りから電信柱が消えている。これはとても歓迎すべきことだ。街がきれいに見えるし、広く見える。それに空も見える。開放感が違うし、道路に面した家や商店も立派に見える。

ほどなく行ったところで「江戸見付一里塚址」なる石碑を発見。近くにあった看板によれば、ここは通常の一里塚というだけでなく、どうやらここからが小田原城下ということらしい。江戸見付の意味は小田原城から江戸に向かう出口ということなのだそうだ。

4ku3039 この小田原にも、古風な建物がいくつも残されているようだ。途中、武家屋敷とおぼしき家の格式のある門を見つけた。

このほかにも江戸時代の商家風の建物や、木造の洒落た洋館の眼科医院、ひと昔もふた昔も前の建物がポツポツ並んでいた。

小田原の市街に入る。車の数も人の数も多い。さすが、このあたりの中核都市だ。

4ku3063 国道1号線は本町交差点「小田原宿なりわい交流館」の角を右に曲がる。この通りにもレトロな雰囲気の建物がいくつも並んでいる。中でも小西薬局の看板が出ている薬屋さん、その隣の今井酒店のあたりは古風な雰囲気が漂っている。

(次回に続く)

2005.09.10

箱根駅伝を歩く 第22回 4区 国府津~鴨宮

カメラをメモ代わり使うなどということは、フィルムの時代には考えられなかったことだが、デジタルカメラになってそれが当たり前になった。毎回、わずか7~8キロメートルの散策だが100枚近い写真を撮っている。これがあとで文章を書くときに役に立つ。ある意味でこうしたデジカメの使い方を躊躇なくできるようになったことが、この旅を始めてからの唯一の成果かも知れない。

4ku2077 さて、国府津の街はレトロな建物に興味のある者にとっては、とても魅力的なところで、その気になればあっという間に数百枚分のシャッターを押してしまうことだろう。この箱根駅伝を歩くという旅が終わったら、国府津に舞い戻り写真を撮ろうと思う。それくらい街並みが魅力的だ。

この街には戦前の写真に出てくるようなレトロな建物がいくつも並んでいる。江戸時代の町屋のような建物もあれば、明治か大正時代の洋風のたたずまいを感じさせる家、あるはコンクリート造りのがっしりと建物まで、戦前の映画のセットを作るなら是非参考にしたい建物がいくつも並んでいる。

4ku2084 おそらく60年前の戦争で、日本のあちこちの中小都市が爆撃されていなかったら、街の風景はどこでもこのようなものではなかったろうか。新しい家も古くからの民家も、ひとつの街の風景の中に混在している。この不思議な風景がとても新鮮に見えた。

4ku2080勝手に江戸の町屋と名付けた家の玄関の梁に、昔の電話番号が何枚か貼り付けたあった。一枚目は「電話二十五番」というとても古風なもの、二枚目は「電話(電電公社マーク付き)国府津2025」この二つを見るだけでも、電話番号の変遷や歴史が伺えて面白い。つまり、最初はこの町の25番であったものが、電話の数が増えて国府津2025番になり、おそらくそのあと国府津の局番が決まり、さらに市外局番が付加されて現在に至ったのだろうと推測できる。このプレートだけでも歴史を伝えるレアものの遺産といえる。

その江戸の町屋の向かい側にひとつだけ気になる洋館が・・・あれ、まったく同じ建物の写真をどこかで撮ったぞ。デジカメのスイッチをプレイモードにして、今日撮影した写真のはじめの方を再生してみた。あった。これだ。

4kuextr 二宮の駅の近くで撮影した白い洋館風の建物。そして目の前にある白い洋館風の建物。こちらは多少改造されてはいるが、外観のデザインがまったく同じではないか。これは驚きの大発見だと思う。これも、自宅に戻ってからネットで調べてみた。蛇の道は何とやらで、しっかりこの二つの建物が同一の設計であると調べていた人がいた。しかも、そこでわかったことは、この二つの建物は大正13年に建てられた郵便局であること。それに双方とも現在は郵便局としての役目を終えているということらしい。なるほど、それなら別々の街にまったく同じ建物が存在しても不思議なことではない。

あれこれ写真を撮りながら、後ろ髪を引かれる思いで国府津の街を出る。

しばらく歩いたところで、「東海道小八幡の一里塚」と書かれた看板を発見。どうやらここが東海道の19番目の一里塚のようだ。これもあれこれネットで調べたことではあるが、一里塚は通常、道の両側に9メートル四方くらいの塚を作り、それぞれに男塚、女塚の名が付けられる。またこの塚には榎木を植えるというのが正式名ものらしく、夏は旅人の休憩所として使われていたようだ。なぜ、榎木かといえば、徳川家康が家臣に「余の木を植えよ」といったのだが、聞き間違えて榎木になったらしい。しかもそのことは古文書にも残っている。一里塚について詳しいことは、このサイトがお薦めだ。 

4ku2097 一里塚からさらに前進すると、あの大磯の松並木にも劣らない松の並木道になった。並木の向こう側には海水総合研究所という、かつての専売公社の頃に作られたとおぼしき塩に関する研究所があった。この研究所前の歩道を整備すれば、ここも立派な観光資源になりそうな気もする。このまま放置しておけば並木はさらに荒れてしまうことだろう。

箱根駅伝のチェックポイント「ミツワ家具」が見あたらない。しかし、ここは間違いなく1号線、道に迷うことは絶対になさそうだ。

4ku2107 道中、あれこれ面白いものを見つけてきたが、ここにもあった。「コンテナ居酒屋」というやつだ。よく見ると鉄道の貨車というか、一昔前のコンテナがあり、それが居酒屋になっていた。もし、夕暮れ時に歩いていたらちょっと覗いてみたくなるような雰囲気ではあるが、残念ながらまだ午前中である。

酒匂中学校のバス停の先にマクドナルドを発見。地図によれば、このすぐ先が酒匂川になっている。この交差点で、この日のウォーキングは中断。朝マックへ走った。これじゃ痩せそうにない。

2005.09.09

箱根駅伝を歩く 第21回 4区 二宮~国府津

JR東海道線の二宮駅で降りる。この日のスタート地点はこの駅前の歩道橋から100メートルくらい大磯方面に戻った横断歩道から。到達目標はおよそ7キロメートル先の酒匂川のつもりだ。

二宮の駅を出てすぐのところにガラスのウサギを抱えた少女の銅像が。身なりは防災ずきん。戦災と何か関係があるのだろうか。海辺に近いこんなのどかなところにも戦争の傷跡があるというのか。ほんの少しだけ気になり家に戻ってから調べてみた。ここに、そのお話しの概略と碑文が書かれてあった。悲しい物語だ。

東京や横浜といった大都市が、爆撃で消失したという話しはよく聞く。しかし、このあたりのように国道1号線に沿って家がポツポツと並んでいるようなところは、爆撃する方も効率が悪いだろうから、もっと住宅や建物が集中しているようなところに向かって行ったのではないか。ガラスのうさぎも機銃掃射とある。つまり爆撃ではない。(これはあくまでも個人的な仮説で、戦災に遇われた方々を軽んじているわけではない。念のため)

4ku2003 なぜ、こんなことを書くのかといえば、この二宮から国府津あたりまでの町の風景を眺めていると、どう見ても戦前から建っているのではないかと思うような建物がとても多く目につくからだ。二宮の駅の近くにある洋風の建物などどう見ても戦後の建築とは思えないし、国府津に至っては戦前の建物のテーマパークと言い切ってもいいだろう。話しが先走ってしまったが、この日歩いたコースはまさにレトロな建物たちとの対話の旅という雰囲気であった。

歩きはじめてすぐに、箱根駅伝4区の8キロメートルのチェックポイント吾妻橋を通過。ここでちょうど1キロ歩いたことになる。この橋も充分過ぎるくらいレトロな味を出している。

4ku2020 それからほんの少し歩いて出会ったのが、これも最近ではあまり見かけなくなった火の見櫓。これは戦後のものだろうが、鉄骨を組み合わせた塔の上に屋根付きの半鐘が・・・いやよく見ると防災無線のスピーカーとサイレンのようなものが取り付けてある。ともあれ、こんな火の見櫓が、かつてはどこの田舎町にもあった。近づくと、火の見櫓の足下には道祖神が並べられ、花が手向けられてあった。

このあたりは歩道の幅が広く、しかも平らでとても歩きやすい。道々、日本橋から何キロという表示が立っているが、ここで75キロメートル。大手町と日本橋ならあまり離れていないから、もう東京から75キロも歩いてきたことになる。ほんの少し誇らしい気分だ。すぐ近くに江戸より十八里の碑があった。待てよ、1里が4キロメートルとして18をかけると72キロメートルじゃないか。この3キロの誤差はどう説明すべきか。この一里塚から道は大きく左に曲がりながら同時に下り坂になる。

坂を下ったところに押切橋という橋があった。橋の上から海の波が間近に見えた。すぐ下の川には、体長1メートルほどの大きな鯉が何匹も悠然と泳いでいた。あの湘南大橋や花水橋から見えた巨大な魚もこれと同じ鯉だったかも知れない。

4ku2044 さらに歩いていくと、小田原市に突入。と、すぐに再び二宮町に、そしてすぐまた小田原市に・・・この表示板だって業者に発注すれば、そこそこの値段がつくだろうに。

このあたりの民家のつくりを見ると、大正、昭和の民家の建築様式がいくつも残っている。モルタル壁が流行する前の様式というのだろうか、板壁、瓦葺きで、木の建具。小さなガラス。なぜか郷愁をおぼえる。現在のように柱と柱の間にパネルをかぶせ、数え切れないほどの釘をエアガンのようなもので打ち込んでいくのとは違う、手間暇かけた家づくりの味がここにはある。これも一種のレトロだろうか。

「浅間神社入り口」の横断歩道のところから、海に落ち込んでいくような下り坂になる。坂を下ってすぐに、4区の中間地点「前羽小学校前」の横断歩道に。

4ku2068 しばらく行ったところで、大量の魚が天日干しになっているお店を発見。小田原の土産物店に並んでいる干物も、このようなところで作られたものなのかも知れない。

海沿いの道を歩く。西湘バイパスの下に海が見える。波の音も聞こえる。おそらく箱根駅伝のコースの中で、波の音が間近に聞こえるのはここだけかも知れない。坂道を上るとすぐに国府津の駅前に出た。(次回に続く)

2005.08.30

箱根駅伝を歩く 第20回 4区 西小磯~二宮

滄浪閣のあたりから西小磯という地名になる。

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もうかなり前のことになるが、この大磯町の郷土資料館に展示するビデオ映像を制作するために、西小磯にアパートを借り、ひと夏スタッフと一緒に共同生活をしながら町中の様々な映像を撮り歩いたことがある。それ以来大磯は自分にとって特別な存在になった。故郷ではないがそれと同じくらい懐かしく、今暮らしている町と同じくらい親しみや愛着を感じる。洒落たいい方をすれば第三の故郷というところだろうか。海と山があり、豊かな自然と冬の温暖な気候・・・老後、この町に移住することが夢だ。

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今からおよそ2年ほど前にも、この西小磯だけに伝わる伝統の祭り「西小磯の七夕」のドキュメンタリー映像を制作。この時もおよそ1週間にわたって、このあたりの小道を歩き回った記憶がある。この風景を見ていると当時の思い出が甦ってくる。

だからというわけでもないが、正月の箱根駅伝の放送で、選手たちがこの大磯の町を走り抜けている間はついテレビに釘付けになってしまう。

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旧東海道の松並木から、ほぼ一直線の平らな道がしばらく続くが、やがて前方に山が迫ってくる。その山の緑を切り裂くように国道1号線が走る。このあたりが、箱根駅伝4区4キロメートルのチェックポイントになる「切り通し」だ。

その切り通しの左手の山が吉田茂邸、右側が城山公園で、大磯町郷土資料館はこの城山公園の西小磯側の麓にある。車で伊豆や箱根にお出かけの際には、是非立ち寄っていただきたいポイントだ。

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切り通しを通過すると今度は長い下り坂になる。坂を下り終えたところに不動川という川が流れている。近くの交差点の角にデニーズが見える。ここから再びゆったりとした登りが続く。左手の方には、大磯ロングビーチや大磯プリンスホテルが見える。

この坂を上ったあたりの右手に「北海道ラーメン壱龍」がある。ここが4区5キロメートル地点で、すぐ隣は大磯警察署だ。ここからしばらくはアップダウンのないほぼ直線の道が続く。

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右手に六所神社の大きな鳥居を見ながら前進。しばらく行ったところの角に小さな塚を発見。道祖神が祀られていた。夫婦の道祖神は、悪霊が近づいても、仲の良い夫婦の神様の間に割り込むことができず突き飛ばされてしまうといういい伝えがあり、村の入り口に置くことで災難がやってこないと信じられていたものだそう。

えびやという食堂を境に、大磯町から二宮町に入る。ポツポツと松の大木が残っている。おそらくこれもかつては並木になっていたのだろう。

潮海橋のチェックポイントを過ぎてすぐに東名高速につながる道の交差点がある。ここを過ぎればすぐに二宮駅の入り口があり、この日の目標地点だ。

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2005.08.29

箱根駅伝を歩く 第19回 4区 大磯~西小磯

8月最終の土曜日、夏も終わろうという季節だが、大磯駅には大勢の海水浴客が押し寄せてきている。おそらくロングビーチがめあてだろうが、この日差しと暑さなら今日も充分楽しめることだろう。

こぢんまりとした駅前を駅を背にして左手方向に向かう。緑に囲まれた坂道を下ればすぐに今回のスタート地点の「大磯駅前歩道橋」に出られる。アブラゼミやミンミンゼミ、ツクツクボウシ、何種類もの蝉の声が同時に聞こえてくる。生物の個体数が圧倒的に多く、薄っぺらな都会の生態系とはまるで違うようだ。

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朝の国道1号線は意外に静かで、人通りも車も少ない。南に西湘バイパスが、また北に小田原厚木道路が平行して走っているこのあたりの国道1号線は、箱根や伊豆半島方面に向かういわゆる通り抜けの人たちには無用の道で、それだけに地元密着の生活道路という雰囲気が漂っている。

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かつて東海道の宿場町でもあった大磯だが、明治以降は伊藤博文や吉田茂のほか、島崎藤村など大勢の文化人が暮らした高級リゾートタウンであり、庶民にとっては海水浴発祥の地で知られるように海水浴の町でもあった。箱根駅伝4区の2キロメートル付近に「大磯照ケ崎海水浴場」の石碑がある。実は照ケ崎の海岸付近にもっと立派な石碑が残されているのだが、今回は目的が違うのでこのまま前進することにした。


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この海水浴場の入り口の少し先に『大磯井上蒲鉾店』という店がある。ちなみにこの店のはんぺんとさつま揚げは絶品中の絶品。たまたま開店前で、しかも炎天下ということもあり、その場ではんぺんを買うことはできなかったが、数時間後にバスでこの近くまで戻り久しぶりの味を土産にすることができた。

2.1キロメートルチェックポイント「スリーエフ」を過ぎると道はゆったりとした登り坂になる。左手に大磯の町役場が見える。そのまま坂を上りきったところまで行くと「東海道の松並木」と呼ばれている松の並木道に出る。400年も前に植えた松の木は大木に成長している。真夏の日差しをカットしてくれる並木道はとても優れている。これは車で通りすぎるだけならあまり実感として伝わらないだろうが、歩いてみてはじめてその有り難さがわかる。おそらくこの並木道を大名行列や無数の旅人たちが通り抜けていったことだろう。

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松の並木が途切れたところに、滄浪閣という高級中華レストランがある。この建物はあの伊藤博文の家といわれている。大磯プリンスホテルの別館として営業しているレストランだが、もちろん一般の人も気軽に利用できる。ちなみにここの炒飯は最高に旨い。

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(次回に続く)

2005.08.23

箱根駅伝を歩く 第18回 3区 湘南大橋~平塚(大磯)

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湘南大橋は、相模川にかかる最も海沿いの橋で全長698.5メートル、ゆったりと弧を描いた橋の中央付近まで行けば、左手側に相模湾、右手側に丹沢山系のほか、湘南平の向こうに富士、さらにその左手に箱根方面の山々まで見渡すことができる。

東京から富士山を見るときは大山の後方に富士が見えるが、ここまで来ると大山はかなり右手方向にある。そのぶんだけパノラマ感が楽しめる。富士の手前には平塚の街が広がっている。なかなかの絶景ポイントだ。

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橋の下をのぞいてみた。ずっと下の方に相模川が見え、海のものか川のものかわからないがおそろしく大きな魚が悠然と泳いでいた。相模湾の風が冷たく心地よい。

湘南大橋を渡りきって最初の交差点が高浜台で、これも交通情報では渋滞の名所としてしばしば登場する。その交差点の角にデニーズがあり、ここがチェックポイントになっている。箱根駅伝3区は残り3キロメートルだ。

この高浜台の交差点付近も歩いて行ける歩道がなく、仕方なく道路の周囲を迂回することに。しかも、これから先しばらくの間、国道134号線の歩道は右側だけになる。午前10時になろうという頃だが、道路右側の歩道は炎天下にさらされている。

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途中、吸水しようにも防風林しかない道の左右には店などない。それどころか自動販売機すらない。防風林の住宅地側の路地の遙か遠くにコカ・コーラの赤い販売機を見つけたときには、つい走ってしまった。

平塚駅南口入り口の交差点を通過。防風林の道の合間にところどころ出入りのための道路が登場するが、それ以外はどこまでも松の風景が続くばかり。反対側の車線の渋滞は未だに続いている。これまたご苦労なことだ。ひょっとしたらあのエアコンのきいた車内にいる連中も、こちらを見て同じことを考えているかも知れない。だが、こちらは多少なりとも気高い理想のもと、この炎天下のウォーキングを楽しんでいるのだ。文句があるならいってみろ。それにしても暑い。

防風林の合間に海が見える。よく見ると下にはプールが。平塚市営プールとある。このあたりの子供たちは海を見ながらプールで遊ぶという、とてつもなく贅沢な夏を楽しんでいるのだ。海風で肌を焼き、ほてった体を冷たい真水のプールで冷やす。うらやましい。どうして水着を持ってこなかったのだろうかと、一瞬だが後悔した。いや、目的が違う。今は気高い理想に向かって目に見えぬ敵と格闘しているのだ。

前方に、やっと防風林が途切れるところが見えてきた。しめた。これでゴールは近い。

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花水川橋を渡る。ゴールの花水レストハウスは橋の向こうに見える。橋の右手には高麗山が見える。広重の東海道五十三次の平塚に描かれている山だが、これまでに一番美しいと思ったのは雪景色の高麗山だ。

さて、見事ゴールといきたいところだが、花水レストハウスは渋滞を抜けてきた車で満杯。ここで休憩をするよりは大磯駅まで向かおうと、引き続き4区に突入。この日は、大磯駅前歩道橋まで足を伸ばした。

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2005.08.22

箱根駅伝を歩く 第17回 3区 茅ヶ崎~湘南大橋

茅ヶ崎の駅に到着したのは午前8時頃。改札付近はこれから遠征試合にでも行こうという高校生たちでにぎわっていた。改札を出て海岸線に至る東口の階段を下りて行くと5~6人の関取が立っていた。それほど上位の関取には見えないが、それでも皆おそろしくでかい。周囲に鬢付け油の甘いに香りが漂っていた。

スタート地点の海岸に向かう途中、小川道場なるものを発見。あの格闘家の小川直也と何か関係があるのだろうか。ここからは、後日ネットで調べてわかったことだが、小川直也氏は茅ヶ崎市在住のようだ。茅ヶ崎といえばサザンオールスターズだが、その桑田氏とも親交があるらしい。だとすれば、あの小川道場は氏に関係する施設と考えてまず間違いがないだろう。なぜか今回は冒頭から格闘技にまつわる話になってしまった。

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1週間ぶりに国道134号線の茅ヶ崎駅南口入り口の交差点に戻る。今回のミッションは、ここ茅ヶ崎を出発して平塚中継所に辿り着くこと。前回同様、海岸線沿いの防風林の道をひたすら歩くという、この箱根駅伝のコースを巡る旅の中で最も退屈な風景の連続になることが予想される。唯一の救いは富士山が見えることくらいだろうか。

茅ヶ崎公園野球場の脇を通過。あのサザンオールスターズのライブが行われた野球場。どこからかTSUNAMIのメロディーが聞こえてきそうだ。

サザンビーチの入り口を通過。防風林が途切れて、道路から海岸線が見えた。周囲にホテルやマンション、レストランなどが並んでいる。ホテルといっても民宿のような建物だが、駐車場に止まっている車はおおよそ関西のナンバーばかり。湘南にあこがれてわざわざここまでやってきたのだろうか。ご苦労なことだ。

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近くにフィッシュセンターなる昔のドライブイン風の建物があり、人気メニュー?が看板になっている。「サザエオールスターズ」「じゃこの海岸物語」・・・のたぐいだ。これをどう評価すべきか。

そういえば、このフィッシュセンターの脇の小道を入ったところが茅ヶ崎の浜降祭の会場だったような気がする。浜降祭は7月の現在は海の日になっている日の早朝、近くの40基近い御神輿がここに集合して神事を行うというもの。ずいぶん前だが、この祭りの様子を撮影するために徹夜で待ちかまえ、明け方に御輿が海に入るところまで見ていたことがある。なかなか凄いお祭りだった。

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サザンビーチから暫くの間、防風林の木陰の歩道を歩く。国道134号線は真夏の渋滞の最中。歩いているこちらの方が、車よりもずっと速く移動しているような気がする。

防風林は、当たり前といえばそうなのだが風がまるでない。無風状態に近い。冬の駅伝の頃はどうなのかわからないが、風がなければ走りやすいかも知れない。

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防風林が途切れて、道路脇に建物が見えるようになってきた。柳島の歩道橋に近づく。この先の湘南大橋を渡れば、もうそこは平塚市だ。

2005.08.20

箱根駅伝を歩く 第16回 3区 辻堂~茅ヶ崎

箱根駅伝3区の中間地点は、辻堂団地というかなり大きな団地のバス停のところにある歩道橋付近だ。このあたりは道路だけでなく歩道も広く、道路のすぐ近くに大きな建物が迫っていないせいか空がやたらに広く見える。

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真夏の日差しに照らされた湘南の風景に、サーフボードを脇に乗せた自転車がなぜか似合う。海風がさわやか。海がさらに近く感じられる。カラパナやクリストファークロスの音楽が聞こえてきそうだ。

道路の左側に変わった形の塔が見えてきた。はて、どこかで見たような。そうだあのシリコンバレーにあるスタンフォード大学のフーバータワーだ。おそらくどこかの新興大学が、学生数を増やすためにキャンパスにシンボルタワーでも建てたのだろうか。

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ほんの少し歩いて、その新興大学とおぼしき建物群が、大学などではなくもっと興味深い施設であることがわかった。その名も「松下政経塾」。選挙になるとなぜか耳にする名前で、近年では若手の政治家を輩出しているあの塾だが、今は夏休みらしく、入り口の向こうには誰もいない。それにしても立派なキャンパスだ。

前進するごとに道路の左右に高層のマンションが増えてきた。構えはどう見てもリゾートマンション風。こんな湘南の海の近くにマンションを購入するのはどのような人たちなのだろうか。ここから、東京まで毎日通勤をしている人もあるのだろうか。

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前方に浜須賀の交差点が見えてきた。ここで箱根駅伝のコースは国道134号線に合流し、平塚中継所まで長い長い防風(砂)林に囲まれた道を行くことになる。

防風(砂)林の道は、周囲に住宅も商店もないため、緑の中にただ道路がまっすぐ延びているだけの風景だ。少し歩いたところで、海岸に向かっている小道を入ってみた。

そこは、海が見渡せる歩道になっており、大勢の人たちがウォーキングをする人やジョギングをする人、さらにサーフボードを乗せた自転車に乗って移動する人たちなどでにぎわっていた。

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波は比較的穏やか。左方向にうっすらと江ノ島が、さらに右斜め方向に烏帽子岩が望めた。暫く国道に平行するこの海岸の散歩道を歩く。海風が冷たく心地よい。

途中、防風林の中を歩ける道を発見。松の木を中心とした防風林の中は意外に静かで、風がほとんどない。

国道に戻り、茅ヶ崎駅に向かう交差点を発見。この日の終点とした。(ここから茅ヶ崎の駅までが1キロメートルくらいあるだろうか、これが思いのほか遠く感じた。疲れた。)

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■次回は茅ヶ崎~平塚中継所の予定です。

2005.08.18

箱根駅伝を歩く 第15回 3区 藤沢~辻堂

今回もできるだけ涼しいうちに歩こうと朝早めの電車に乗った。東京や横浜近辺を歩いていた頃に比べれば、電車の移動距離もずいぶんと長くなった。当然だが、交通費もそれに比例して上昇している。

幸いにも横須賀線が利用できるので便利なのだが、最近では横浜駅などよりも戸塚駅が重要な働きをするようになってきた。この駅では、同じホームで横須賀線から東海道線に乗り換えることができるので必ず電車を降りることになる。きょう行く藤沢は戸塚からふたつ目だ。

藤沢の駅を降りて、前回の終着点である藤沢橋の交差点をめざして歩く。まだ朝も早いせいか繁華街とおぼしき通りもほとんど人気がない。

目的の藤沢橋に到着。早速、箱根駅伝3区の再スタート。この日の予定は、遙か先にある浜須賀の交差点を目指して歩くこと。もし可能なら茅ヶ崎駅に近いところまで行ければと考えている。

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さて遊行寺の坂を下ってきた駅伝の選手たちはこの藤沢橋から若干の上り坂にさしかかることになる。それほど長い坂道ではない。すぐに坂を上りきることができる。その坂の頂上に6.1キロメートルのチェックポイントである「藤沢小歩道橋」がある。

「藤沢小歩道橋?」それは藤沢にある小さな歩道橋などではなく、藤沢小学校前の歩道橋ということらしい。道路から見える小学校は、どことなく風格のある入り口と、斜面を上手に利用した階段状のスタンドがあるグラウンドがとても立派。おそらく歴史のある小学校なのだろう。グラウンドでは子供たちがサッカーをしていた。

坂を下ると道は左右にくねりながら、やがて平坦になった。左方向に曲がれば駅に向かう道が何本かあった。

前方に電車のガードが見えてきた。あれが7キロのチェックポイント「東海道線の陸橋?」かと見ていたら小田急線の電車が通り抜けていった。すぐに地図を取り出してみる。どうやら小田急江ノ島線の線路のようだ。

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「東海道線の陸橋」はその先にあった。ゆるい登り坂だが、ここもごたぶんにもれず歩道のない車だけが通行できる道路になっていた。仕方なく東海道線の線路脇まで歩き、陸橋の脇に設置された歩道橋の階段を登って線路を越えた。

暫くして歩道と陸橋の道が合流。その先にサルスベリの並木道があり、ピンクと白の花が咲き乱れていた。

藤沢警察署のところで道は二俣に、左が江ノ島方面、右が茅ヶ崎・小田原方面だ。とても立派な警察署と、かなりしょぼい交通安全協会の建物の間を抜けて茅ヶ崎方面に向かった。

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小さな川を渡る。白鷺が羽を休めている。この橋を渡ったところの右側に大きな工場が見えてくる。3区8.4キロメートルのチェックポイント松下冷機の工場のようだ。とても大きな工場の敷地の前を歩く。海が近づいてきたせいかどうかは定かではないが、冷たい南風が心地よい。

この工場を過ぎてから気づいたが、道路脇に立っている電信柱の住居表示はいつの間にか辻堂になっている。東海道線のひと駅分に近い距離を歩いたことになる。

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ちょうど夏休みシーズンなのだろう。夫婦でそれぞれに自転車に幼い子供を乗せた親子が、前かごに浮き輪を乗せて通り過ぎていく。近くにプールでもあるのだろうか。そんな親子連れがこのあとも何組か脇を通り過ぎていった。