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コラム

2011.06.14

暗闇と蛍

先日のことだが、数十年ぶりで蛍の光を見た。

もちろん、今時、ありふれた場所で蛍をみつけることなどできるはずもない。

それは、横浜本牧の三渓園が行っている「蛍の夕べ」というイベントでのことだ。

三渓園といえば、大きな池を備えた庭園や京都・鎌倉などの歴史的建造物が保存されていることで有名だが、その園内の一部を流れる小川を中心に蛍を鑑賞するのがこのイベント。

元々ここに蛍が生息していたのか、あるいはどこからかその幼虫でも移植してきたのか、そのあたりの事情については知るよしもないが、ともかくも、まったくの暗闇に数え切れないほどの人がいて、雑木に囲まれた小川にあのもの悲しげな光が浮遊したり、木の葉にとりついて小さな光を点滅させる蛍の光を見つけることができた。

その光を眺めているうちに、幼い頃、家の庭で捕らえた蛍を蚊帳の中に放し、闇夜に浮かぶ光をじっと見つめながら眠りについたことを不意に思い出した。暑い夏の晩だった。

立ち止まって暫く眺め、もう少しよく見えるポジションはないものかと移動したが、あまりにも大勢の観客に行く手を遮られ諦めて会場を出た。

わずか10分程度の蛍観賞だったが、暗闇の中にいたことで、妙に気持ちが落ち着いたように思えた。

そういえば、長野の善光寺にはお戒壇巡りといって『瑠璃壇床下の真っ暗な回廊を巡り、中程に懸かる「極楽の錠前」に触れることで、錠前の真上におられる秘仏の御本尊様と結縁を果たし、往生の際にお迎えに来ていただけるという約束をいただく・・(善光寺サイトより)』という道場があるという。

同じように、ほかの宗教でも暗闇を体験することで悟りに近づく的な苦行もあるらしい。

また、最近では、癒しを目的にした暗闇セラピーなるものもあるという。

暗闇が、明るいところではわからない何かを与えてくれるのかも知れない。

暗闇でもう一つ。つい先日のことだが、東日本大震災から1ヶ月目の被災地を取材するために東北に出かけていったときのことだ。

ある日、深夜に大きな余震が発生し、東北地方が一斉に停電、この停電は数日続いたのだが、この時、まさに夜は完璧な闇夜となった。

ふだんから、寝るときは明かりをすべて消すが、それでも遮光カーテンの隙間から外の光が入り込んできて、真っ暗闇ということはあまりない。

この停電の時は、宿泊していた旅館の構造的な問題や、外の月明かりなどの自然条件もあるかも知れないが、それでもカーテンを開けておいても、室内はまさに真っ暗闇。

だが、この暗闇の中で就寝すると、なぜか深い眠りにつくことができ、翌朝の目覚めがとても良かったことを思い出した。

暗闇とは、何かいいようのない恐れのようなものを感じさせる一方で、人の本来持っている能力や感性を刺激する何かがあるのかも知れない、あるいは癒しに結びつく何かがあるのかも知れない。

それにしても、なぜ、あの蛍の光は人の心を虜にするのだろう。

2011.03.26

農作業の延期を呼びかける馬鹿行政担当者へ

福島第一原子力発電所の事故を受けて、福島県は3月25日に県内の全農家に対し、田植えや種まきなどの農作業を当面延期するよう要請したという。

放射性物質の影響があるから農作物は作らない方がよいだろうということらしいが、もう少し頭を使った判断はできないものだろうか。

たとえば、いま流行の『バイオ燃料』の原料を一斉に栽培するといったことは思いもつかないものか。

作物は、たとえば雑草に強い遺伝子組み換え大豆やトウモロコシなどがよいかも知れない。米も作れない、野菜もだめなら次の手を考えるのが政治や行政のやることではないだろうか。ただやめましょう。補助金下さいといった無能な考えはやめるべきだ。

バイオ燃料の材料なら人間が口にするわけでもないし、ガソリンに混ぜてしまえばよいわけで、人に対する害も少ない。それに、これからどうなるかわからないエネルギー問題を国民に考えさせる絶好の機会にもなるはずだ。しかも、これまで代々農家の人々の手で耕されてきた広大な農地を耕作放棄地にすることもない。

政治家や行政担当者の機転の利いた判断を期待したい。

2010.04.22

再開したウォーキング

「ただ歩き回って何が面白いの?」と問われれば、それほど楽しいことでもないと答えるだろう。中には「ウォーキング、そんなの時間の無駄じゃない?」というヤツさえいる。健康体でどこにも問題のない人ならたしかにそうだろう。

「あら、この数字、間違いないです。これってもう糖尿病ですね。」考えられないくらいの上から目線で、他人の人格も、職業的地位も、永年培ってきたプライドも、すべて無視した若い女医さん(ネーチャン)の発言に「ッざっけんなよ~」という思いがムラムラと湧き起こり「だったらヨ~今すぐ血糖値なんて下げてやろうじゃない・・・」・・ということで、何年かぶりで始めたウォーキングだ。

元来、運動をすることにそれほど抵抗はない。歩くことなど、朝飯前。おっと、朝飯前は血糖値が下がっているので運動をしてはだめなのだ。そこで朝食または昼食後に毎日1万歩を設定した。だが、この1万歩が、やってみると難しい。

都内の、特に最近何かと出かけることが多い渋谷にある某テレビ局に行く日は、それほど問題はない。自宅から最寄り駅、さらに渋谷駅からそのテレビ局までの道を歩いて往復すれば、それだけで8千~1万歩に達する。そうか、だからあの放送局に太めの人が少ないのか? かな? と、いうよりもあそこにいる人たちってかなりストレスありそうだし、それが原因で太れないのかも・・・どうでもいい話だ。

ここを歩けば1万歩というコースをいくつか持っている。一番わかりやすいのが、多摩川の土手沿いのコース。目標にしている橋を往復すればいい。途中、豊かな自然もあり、元気な高校野球チームの練習場がいくつかあり、生徒たちのきびきびとした動きを眺めながらのウォーキングは楽しい。だが、これも数日で飽きがくる。

そこで、次に行くのが家の近くをぐるりと回る周回コース。途中に立ち寄るお店があったりするのが気にっている。

さらに、ふだんは電車で行くターミナル駅まで、徒歩で行くコース。目的地付近にショッピングセンターや大型書店などがあり、そこが到着目標になるので歩くことが逆に楽しくなる、が、帰りはバスや電車の世話になる。

あれこれ試してはみたが、1万を超えるのは結局週に1~2回、これでも何もやらないよりはましと自分を慰めながら継続している。

そんなこんなで、今月の血糖値は正常に・・・・もっともウォーキングだけでなく、投薬の御陰もあるが・・・・しばらくは、歩くことを生活の一部にする努力が必要そうだ。

2009.09.25

飛沫感染

夕暮れ時、ショッピングセンターの前で待ち合わせをした。店内への入り口から少し離れた静かな場所。大きなガラスの向こうにはパン屋の店内が見渡せた。

人通りはあるものの、もうかなり薄暗くなり、通りはどことなく物憂げで、パン屋の白熱灯の明かりが、その薄暗さをさらに憂鬱なものにしていた。

時計を見る。まだ待ち合わせより10分近く早い。通り過ぎる人たちのファッションを眺めながら無駄に時を過ごしていた。新型インフルエンザが流行しているのかどうかはわからないが、大勢の通行人が口元にマスクをつけ足早に去っていく。

ふと振り返り、パン屋の店内を見渡してみた。

ちょうど店の中央にある展示棚のところに、幼稚園児くらいの男の子と、品定めに夢中になっている母親の姿が見えた。

男の子は、おいしそうなパンに目が釘付け状態。そろそろ夕食時だし、おなかも空いているのだろう。

母親は、子供になにか声をかけながら棚の上段のパンをとりトレーの上に載せている。

驚きの光景は、突然に始まった。子供がパンに鼻をつけるくらいの距離に達した瞬間、突然、大きなくしゃみをしたのだ。逆光の照明も手伝ってか、鼻と口から大量の飛沫が飛び出し、目の前の美味しそうなパンの上に勢いよく降り注いでいる様子がくっきりと見えた。

近くにいる母親もその様子は見ていない。遠くのレジで商品を袋詰めしている店員でさえも、その様子にはまるで気づいていない。ああ、あのパンどうなるの?

新型インフルエンザの感染爆発は、これからが本番なのか。

2009.07.27

手を合わせる姿

部屋のカーテンを開けると、ベランダ越しに近所の公園がよく見える。

早朝。犬を連れて散歩する人。ウォーキングをする人。酔いつぶれてベンチに寝転んでいる人。まだ街灯が灯っているというのに、ここには大勢の人がやってくる。

そうした中に、あのホームレスがいた。レジ袋にアルミ缶を詰め、それを台車のようなものに山積みにし、おそらくその台車の上のものが全財産だろうと想像できそうな持ち物。黒く鈍い光を放つ衣装。公園のトイレの脇に陣をとり、昨夜からここをキャンプ地にしているようだ。この公園なら適度に明るいし、人の目もある。ふらちな若造に狙われることもないだろう。

ホームレスを云々するつもりはない。だが、かわいそうなことにこの老人はひどく衰えているようだ。寝ているのか、起きているのかは不明だが、トイレの脇に妙な格好でうずくまったままだ。

数時間後、夜も空けて室内の空気を入れ替えようと窓を開けた。あのホームレスが気になり様子を見た。まだいる。ずっと同じところに陣を構えたままだ。ちょうどその時、自転車に乗った女性がやってきて、そのホームレスに近づいて行くではないか。何をするのだろう。

ひとこと何か話しかけたあとで、女性はポケットから何かを取り出し、ホームレスにそれを手渡した。100メートル近く離れた場所から見ていても、それが何かは簡単に想像できた。女性は、さっと振り返り自転車に乗って立ち去った。ホームレスはその姿を見送りながら、両手を合わせた。
何か美しいものを目撃してしまったような、すがすがしい気分を味わうことができた。

そういえば数日前、渋谷の宇田川町で、似たような様子を見た。ホームレスは同じだが、相手が違う。外国人の青年が、ポケットから小銭入れを取り出し、何のためらいもなくホームレスに施しをする。当のホームレスも、その手の外国人が大勢いることを心得ているようで、笑顔でそれを受け取っている。

物乞いをするホームレスというのは、あまり見かけないが、外国人が大勢いる街で、ああも自然に施しをされると明るい風景になってしまうから不思議だ。

ホームレスに施しをすることが善か悪かを云々する気はない。ともあれ、たった一度も、そういう気分になったことがないということが、もっと前に横たわっている大きな問題かもしれない。

ほぼ、一昼夜、うずくまっていた公園のホームレスは、翌朝、どこかへ旅立っていった。

2007.10.23

急展開

「もしもし、○○道の97キロポストのところから電話をしてます。ボンネットから煙が出て車が停止しました・・・・・」
「・・・・・わかりました、すぐに牽引車をそちらに向かわせますので、車を離れてガードレールの外側など、安全なところでお待ち下さい。」

駐車している車から少し離れたところに移動し、これから訪問しようとしていた相手に携帯電話で連絡を入れる。それからしばらくの間、道路を走り抜ける何台もの車を眺めていた。だが、一様にどのドライバーもこちらを見ながら通り過ぎていく。しかも、どう見ても気の毒がるような視線などではない。それどころか、おおかたが好奇の目で、中には指をさして笑う奴さえいる。とんでもないことだ。ばかやろう、こっちだって好きでこんなところに止まってるんじゃないんだ。高速で行き過ぎていくドライバーたちの視線に嫌気がさして空を眺めた。真っ青な空に秋のすじ雲がきれいに並んでいた。

青い色の牽引車でやってきた青年は、ボンネットの中を見て、「これはエンジンがいっちゃってますね」とひとこと。冷却水が何らかの理由で漏れ出してエンジンが焼け付いてしまったのだそうだ。

なるほどそういうことか、で、修理の段取りはどうなのか。恐る恐るたずねてみた。
「この年式ですし、エンジンを取り替えて30万から下手をすると50万というところですかね。どうします、これから?」
このどうしますは、どうやらどこへ運ぶのか早く考えろといっているようだ。
「この近くに修理工場はないの?」
「いえ、そういうことではなく、解体屋へ持っていくかどうかということです・・・・」
なるほどそういうことか。

「ところで、お客さん、会員証の期限が過ぎてますから、ちょっとお高いですが、運びますか?どうします?」
某自動車連盟の有難さは身にしみてわかっているのだが、それでも、そんなふうにつけこまれるとムッとしないわけでもない。期限切れにいきなり解体屋直行ねぇ、悪いことは重なるものだ。ともあれ、このまま故障車を放置するわけにもいかず、彼の提案に従うよりほかに選択の道はないようだ。

解体屋さんには、気の良さそうな青年が待ち構えていた。なぜ、こんなことになったのか。それををじっくりと理解する間もなく廃車の手続きが行われ手数料を支払う。ここまでの牽引費と合わせると、前から欲しいと思っていた最新型のデジカメが買える金額だ。

おっと、そんなことを考えている閑はない。トランクに積んだままのカメラの三脚やもろもろの道具を自宅まで送る段取りも考えなければならない。ああ、何ということだ、気に入っていたカーナビも、カーステレオもETCも取り外すことなくこの場を去らねばならないのか。それに、ここでもたもたしていると午後の大切な仕事に間に合わないことになる。ええい、みんな捨ててやる。

帰りの電車の中で、今日これまでに起きたことを振り返ってみた。なぜだ、なぜそうなるのか。事態の急展開に疲労感だけが残った。

2007.08.01

お呼びでない来訪者

ピンポーン!! とっさに壁の時計を見上げた。午後3時、はて、この時間に誰かが訪ねてくる予定はなかったと思うが・・・。

ドアを開くと、脚立を持った老婦人が突然入り込んできた。え、脚立? 
「・・・(何者?)・・・・」
「奥さんはいないの?」
「・・・はぁ、(新手の飛び込みセールスか?)出かけてますが・・・」

家内とは、まるで古くからの知り合いのような口ぶりだが、どう考えてもこのようなタイプの知人はいないはずだ。つまり、何というか、その、オバサンタイプの・・・・。

「奥さんだと思ったら、旦那さんが出できたから驚いちゃったよ・・・」
「はぁ(悪かったな)」
そういいながら、脚立を玄関先にゴツンと置き(おいおい、そんなに乱暴な置き方をしたらシューズラックに傷がつくじゃないか)、外に重ねて置いてある紙袋のようなものを取りに行った。

さて、何を始めようというんだ。
透明の白い袋を持って再び玄関に戻ってきた老婦人は、そそくさと履物を脱いで家の中に入ろうとしている。
「あの~、いったい何をしようっていうんですか?」
「ダスキンのお取替え、ほら換気扇のフィルターだよ。」
そういって換気扇のフィルターを見せた。

え?でも、それはおかしい、だって換気扇の掃除やフィルターの交換は、ずっと前からこのオレの仕事になっているし、そんな甘っちょろいサービスはまったく不要だ。それに何より、換気扇の掃除というオレの牙城にずけずけと踏み込もうというのか。ちょっと待てよ。

「あのね~。うち、そんなサービス誰にも頼んだことないんだけどな~(このバ■ァ)」
「えっ」
老婦人は、急に我に返ったように、1秒半ほどこちらの顔を見つめ、さっと翻って外に飛び出し、ドアの脇にある表札を見た。
「あ~ら、いけない。お宅、青山さんちじゃなかったの?」
「違いますけど!!(ふざけんなこのク■■バァ)」
老婦人は、こちらに謝罪するどころか、何事もなかったように、さっさとどこかへ消えていった。

2007.05.30

誰も決めていないが

世の中には、無言の常識のようなものがある。

たとえば携帯電話のキー操作音。おそらく携帯電話を購入した、いわゆる工場出荷状態の携帯電話ならキー操作をするたびに『ピッ』と音がでるのは普通のことだろう。

それ自体は何も問題になることはない。だが、大勢の人たちはこの無言の常識によって、このキー操作音が出ないように設定をし直している。いちいちキーを押すたびに音がしたのではうるさいし、群衆の中ではこの音が迷惑になるだろうと想像できるからだ。

ところが、このようなことを強制する法律も決まりごともない。そして、誰かがそうしろとか、そうすべきだなどと口に出していうこともない。なのにみんなそうしている。それが、いわば常識的なことがらだからだ。

梅雨時を間近に控え、ムシムシとする満員の通勤電車の車内。かなり大勢の人がいながら、ほとんど会話はない。みな無言で、苦痛に満ちた時間を少しでも快適に過ごそうとしている。

そんな中ひときは響く『ピッ、ピッ、ピッ』・・・・あの未設定の携帯電話キー操作音だ。音の主は、サラリーマンとしての定年をはるかに超えているだろうと思える爺様。メールに返信でもしているのだろう、軽快なキータッチはよいのだが、いかんせんうるさい。

「電車の中で携帯メールやるなら、キー操作音くらい切っておけよ」・・・そんな目で、音の発信源を探す人たちの数は一人ふたりではない。 誰も口にはしないが、そうすべきだろうと思えるようなことは、きっとこのほかにも沢山あるだろう。 でも、そういうことに無頓着だといじめの対象になったりもする。

明文化されていないことをはっきりと言葉で表し、関係者の全員が納得できるルールをつくるのは難しい。でも、これだけ世の中のコミュニケーションが希薄になってきた今こそ、世の中の常識やルール、決まりごとについての明確な答えが必要だと思う。

2007.04.27

他人ごと

東京、田町、札の辻から赤羽橋に向かう一直線の道路を都心部に向かって走ると、真正面に東京タワーがビルの合間にすっくと立っている。

その様子を撮影しようと路肩に車を停め、三脚を立てて準備をしていたときのことだ。すぐ脇の歩道で突然若い女性が倒れこんだ。何かにつまずいて転ぶという姿は見たことはあるがそうではない。そこがレンガ張りの舗道であるかどうかということなど関係なく、そこに崩れるように寝込んだ。まさにそんな姿だった。

人通りの多いところではあるが、なぜかその様子を見ていたのは私一人だろうし、一番近くで様子を見ていたのも私だ。

カメラも三脚もそのままに、すぐさまガードレールを乗り越え、直行。肩を軽く叩いて・・・
「どうしました? 意識はありますか?」
「あ、頭が、痛くて・・・・」
そういいながら、片手で頭を抑え、立ち上がろうとしている。
「ちょっと待って、救急車を呼びましょう」
「大丈夫ですから・・・・」
道行く人たちは、様子を見ながらも他人ごとだ。

女性はゆっくりと立ち上がり、片方の頭を抑えながら苦しそうにその場を去って行く。
無理にでも引き止めて救急車を呼ぶべきかどうか迷ったが、歩けるのでと云われ見送った。

ゆっくりとだが、歩いて駅の方へ向かっている。だが、数十メートル先でまた倒れた。だが今度は、偶然通りかかったお巡りさんが近づいていった。そのお巡りさんは様子を聞き、すぐに無線でなにやら交信を始めた。これでとりあえず大丈夫だろう。

撮影を終えて、その場を立ち去ろうとした頃、遠くから救急車の音が聞こえてきた。これで、ようやく他人ごとになった気がした。

2007.04.16

やるせないできごと

日頃から何かとお世話になっているのが公立の図書館だ。どちらかといえば、目的があって出かけるというよりは、行ってから興味のありそうな本やCDを見つけては借りてくる。そんなことを、2週間に一度、つまり借りられる期間が2週間なので、それを何度も何度も連鎖的に続けている。

図書館に行くのは土曜日の午前中。いつも利用しているのは、駅のすぐ近くにある図書館で蔵書の数も多い、それに利用者も。でも、ほとんど人たちが静かに利用しているので人の多さはあまり感じない。

書架に向かってあれこれ探しているときのことだ。「ふぁ~・・・・×△◇・・・」わけのわからない奇声を発する男が突然入り込んできた。良くみると目がうつろ。どこにでもいそうな障害を持った青年のようだ。

その青年が奇声を発しながら、走るように脇を通り抜け、書架の角を曲がってすぐ、小さな赤ちゃんが突然泣き出した。何事かと様子を見ると、男が勢い余ってそこにいた赤ちゃんを突き飛ばし、何もなかったように立ち去っていく。

すぐそばにいた母親は、男をにらみつけながらも泣く子をあやす。

障害者を悪く言うつもりはない。でも、やっと立てるようになったかどうかという年頃の赤ちゃんや、その母親の不注意を責めるわけにもいかない。事件はあまりにも突然だった。

静かな図書館に響く赤ちゃんの鳴き声、せいぜいその声が届く範囲だけだろうが、妙なやるせなさが漂った。